※ このレポートは、風の学園の学習の一環として、各ゼミ生が担当をして作成しています。


ドイツと玩具


【1】ドイツ・日本・玩具

 私達、風の学園の一行が今回のフィールドワーク・オシフェンチムで訪れた国、ドイツは日本と多くの点で共通項の認められる国です。それは、戦後に限っていえば多くの場合、日本と共に第二次世界大戦の敗戦国であることに起因します。もちろん日本が明治以降、ドイツという国をお手本にしてきたことは、広く知られています。それに至った要因には、対外的な両国の立場に共通点があったことが、関連しているように思えますが、それが二度にわたる世界大戦に結びついているのは目を背けることの出来ない事実です。例えば、第一次世界大戦中にはイギリスやアメリカにおいてドイツの玩具が輸入禁止になったほか、不買運動なども進められましたが、一方、日本の玩具業界も第二次世界大戦の際、同じような境遇に見舞われました。これは、この両国が玩具の生産によって多くの外貨を獲得していたことの証明にもなります。ドイツは中世よりヨーロッパにおける玩具の中心的な生産地として機能していました。また日本の方はというと、1927年に玩具輸出において世界第一位の生産額を記録しています。明治時代に始まった近代玩具産業ですが、やはり当初はドイツの玩具をお手本にして発展してきました。また戦後はフリクション仕かけの玩具(摩擦を動力に利用した玩具)や、ラジコンやTVゲームなどの電子玩具の分野の開拓によって、それまで西洋諸国によってイメージされていた質が悪く安い玩具というレッテルを払拭しました。つまり戦前、戦後を通して、ドイツと日本は世界の玩具工場として機能してきたのです。

 では戦中、両国の玩具はどのような歴史を刻んだのでしょうか。日中戦争が始まって一年後の1938年、日本は軍需上重要な資材であるとの理由から玩具に対して、金属類や、その他の非金属、綿糸、ゴム等の使用を制限しました。これによって日本の玩具産業は、先に触れた連合国による不買運動や輸入禁止などと相まって、ほぼ壊滅状態に陥りました。というのも、当時の国産玩具は輸出重点主義だったためです。対して、ドイツは敗戦にいたるまで、国内での玩具の生産を禁止していません。この要因には、もちろん資源の保有量も関連しているはずですが、そこにはドイツ人の玩具に対する思いのようなものも見え隠れします。ただしナチス・ドイツが当時、子供向けのプロパガンダに玩具を利用していたことを考えると、話はそうは簡単ではないことを思い知らされます。素朴なぬいぐるみで有名なケーテ・クルーゼの人形工房でも、ナチスの制服を着た人形を作っていたという事実がそれを証明しています。とはいえドイツでも戦時下には、工場生産は制限されました。しかし、生産は工場から家庭へと移り、細々と毛糸の編みぐるみ等が作られました。一方、戦後の日本では女性の政界進出と同時に、日本の荒廃した玩具文化を守るべくある法案が提出されています。この内容は戦中、ないがしろにされてきた子供と玩具の関係を再び修復しよう、といったものでした。この法案の柱となる要素は、玩具類の税金撤廃、もしくは免税点の引き上げです。この時代に日本で玩具をもっている子供はまれな存在であり、戦中や終戦直後にいたっては「玩具」であるはずのお手玉までもが食用として用いられた例が報告されています。そのような実情を、理解していた女性議員が主になりこの法案は提出されました。結果、玩具の物品税は10円未満の商品について免税されることとなりました。また、この後、日本では1947年には玩具の輸出が連合国によって許可されています。ただし、当時の日本製玩具には、「メード・イン・ジャパン」の代わりに「メード・イン・オキュパイド(占領下)・ジャパン」という文字が刻まれることになったのです。明治に始まり、昭和初期には大成した日本の玩具産業ですが、戦争による打撃によって、再び一から出直す結果となりました。一方、ドイツでもやはり戦後は材料が不足していたようで、軍の払い下げ品の毛布から作られたテディベアなどが市場に登場しています。

 これまで、戦時下のドイツと日本の玩具の歴史について記述しましたが、明治以前には、両国の玩具文化の接点はあったのでしょうか。斎藤良輔が著した『おもちゃ博物誌』において、同氏はシルクロードを経由しての玩具の移動について記述しています。それによると古代における東西文化の接点である西域トルキスタンに端を発する、あやつり人形がドイツと日本、双方に影響を与えたそうです。これは日本へは平安王朝期にもたらされ「くぐつ舞わし」と呼ばれました。これは後に、人形浄瑠璃芝居へと発展し、歌舞伎劇の前身になりました。一方、ドイツでは「トッケンシュピィル」と呼ばれる伝統的なあやつり人形に、同じように西域トルキスタンの影響がうかがえるそうです。つまり、東の端である日本がひとつの玩具文化の終着点だとすれば、西洋の玩具文化の中心地であるドイツが西の終着点となったのです。両国が、シルクロードから多様な文化を吸収して、後に独創的な玩具で世界の市場をにぎわせることになるのには、こうした立地条件も関連しているのかもしれません。



【2】おもちゃ博物館

 世界的に有名なニュルンベルクのおもちゃ博物館をはじめとして、玩具企業の本拠地がある街や、郷土玩具の生産地、または熱心なコレクターによるものなどと、ドイツには現在いたるところに、おもちゃ博物館が点在しています(インターネットで調べてみれば、簡単に数十のおもちゃ博物館を見つけることができるでしょう)。実際に私達が滞在したゲッティンゲンの市立博物館にも、わずかなスペースではありますが、玩具を紹介するコーナーが設けられていました。この街と玩具を結び付けるものは、これといって見当たりませんから(玩具の生産地でもありませんし、この街は理数系の名門大学の街として有名なのだそうです)、それこそがドイツが玩具の国であることを証明しているのでしょう。また、その前に訪れたカッセルの美術館でも、19世紀から現代までの組み立て玩具を紹介する「積み木箱」と題した企画展が開かれていたようで、それに関する書籍が販売されていました。これもまた意外な出会いでしたが、これらの出来事でドイツにいかに玩具が深く根づいているかを理解することができたような気がします。この章では、主に今回の旅で行くことの出来なかったおもちゃ博物館について記述していきます。今後ドイツを旅することがあれば、ぜひ訪れてみたい場所の数々です。

 ニュルンベルクには世界的に有名な、おもちゃ博物館[01]があります。中世より、ながく玩具産業の中心地であったニュルンベルクでは、現在でも大規模な玩具見本市が開かれるなど、その歴史は深いものがあります。その歴史を背景にした、この博物館の展示物は中世のマイスターの手による優雅なドールハウスから、家内工業で作られた郷土色豊かな木の玩具、ブリキの動力玩具までと、ニュルンベルクのみならずドイツの古今東西の玩具が集結しています。

 もちろん近代の玩具も展示されており、幼稚園の創始者として知られるフレーベルの考案した「恩物」と呼ばれる教育用玩具が常設展示されています。フレーベルの思想は積み木をはじめとした、近代の組み立て玩具の考え方の源流になりました。この博物館に展示されているものはフレーベルの理念が忠実に施されている、ドイツでも貴重なものだそうです。また、この博物館には、なんとレゴのコーナーも設けられているそうです。レゴはデンマークで誕生した玩具ですが1950年代に完成したレゴ・システムは、当初ドイツの玩具市場で受け入れられませんでした。当時、レゴ社の社長だったゴッドフレッド氏は「おもちゃの王国といわれているドイツが、デンマークからおもちゃを輸入するなんてとうてい考えられないというのが現実だった」と語っています。また当時の玩具の専門家も「ヨーロッパの主なる生産国であるドイツでは外国の玩具は決して成功しない」と思っていたそうです。しかし、1950年代後半に入りレゴ・システムはドイツの市場で大成功をおさめます。そして、今やドイツのおもちゃ博物館で紹介されるまでに至っているのは、まさに快挙といえるでしょう。

 ニュルンベルクが玩具の街として栄えたのは16世紀頃からといわれています。この街は交通の便のよさ、地の利を生かして商品流通の中心地となりました。一方、玩具の生産地でもあったこの街には、15世紀にはすでに人形を専門に作る職人がいたことが記録されています。その人形作りは「ドッケンマッハー」と呼ばれていました。現在のドイツ語では人形は「プッペ(さなぎという言葉と同義)」と呼ばれますが、この街の周辺地域では今でも「ドッケ」と呼ばれています。「ドッケ」とは木片を意味します。また北欧のスウェーデンではこれによく似た言葉、「ドッカ」という名称が用いられていますが、「ドッカ」は毛糸のかせを意味します。地域による名称の違いは、その人形の材質と関係があると考えることができるのではないでしょうか。深い森に囲まれたニュルンベルクに暮らす農民は、身近な材料である木片から人形を作りだしました。当初、木材から作られた人形ですが、時を経るごとに、素材のバリエーションは増していきました。14世紀にはニュルンベルクに製紙工場が建造されています。これは中国より、製紙法が西洋へ伝わったためで、張り子の動物玩具などが登場しました。また同時代には土人形も多く作られています。では私達がよく知っているような、布製の人形がドイツで誕生したのは、いつなのでしょうか。それは、17世紀のはじめで、オガクズや、モミガラを詰めて作られました。17世紀末には、錫製の兵隊が登場しています。これはフレデリック大王の戦績に憧れる子供のために作られたもので、キャラクター玩具の先駆けともいわれています。19世紀には、陶器やパリアン(表面の白い硬質陶器)、ロウやゴムなど、と多種多様な材料で人形が作られるようになりました。これらの人形の一部は、ニュルンベルクのおもちゃ博物館でも見ることができますが、ローテンブルクの人形とおもちゃの博物館[03]では、人形にテーマをしぼって展示されているので、さらに詳しく見ることができます。

 また20世紀に入ると、テディベアが誕生しています。テディベアは同時代にアメリカとドイツで誕生していますが、ドイツで有名なのはシュタイフ社のものです。テディベア誕生のいきさつには、いくつかの説がありますが、広く知られているものは、アメリカの26代目の大統領セオドア・ルーズベルトのエピソードでしょう。これは、ミシシッピーで熊狩りをしていた大統領が獲物を捕れずにいたところ、主催者側が木につながれた小熊を撃つよう勧めたのを、大統領が断ったという話から端を発しています。その後、このエピソードが風刺漫画となって、ワシントン・イヴニング・ポスト紙に掲載されます。これを見た、ニューヨークで雑貨屋を経営していた、モリス・ミットム夫妻がクマのぬいぐるみを作ることを思い立ちました。これがテディベアの第一号です。しかし、それとほぼ同じ頃、南ドイツのギーンゲンという村で仕立屋をして暮らしている、マルガレーテ・シュタイフという女性がフェルトのぬいぐるみを作りはじめました。はじめは、仕立屋でしたので、針刺用の象の小さなぬいぐるみでしたが、後にクマのぬいぐるみも作るようになります。これがライプツィヒのおもちゃ見本市で注目を浴び、アメリカの業者から大口の注文を受けます。その後は、とんとん拍子、すぐにテディベア業界のトップの座に着くことになります。シュタイフ社の最盛期であった、1907年には97万5000個のテディベアを生産しており、現在の同社の生産(年間35万個)を大きく上回っています。あの『くまのプーさん』のモデルになったのもシュタイフ社製のテディベアだそうです。ギーンゲンにはシュタイフ社の創立100周年を記念してマルガレーテ・シュタイフ博物館[08]が創設されています。この街は人口2000人程の小さな街ですが、この博物館や工場を見学しにドイツ内外から年間3万人のテディベア・ファンが訪れるそうです。

 ドイツの伝統的な玩具の生産地はチェコやオーストリアに面した、南東部に集中しています。木の玩具の生産地として有名な、エルツ山地も南東部のザクセン地方に属しており、ザイフェンやグリューンハイニヒェンにはおもちゃ博物館もあります。

 ザイフェンという村はろくろ細工の玩具作りで有名です。ここは古くは採鉱業の村として栄えました。現在でもこの村でクリスマスに見ることのできるクリスマス・ピラミッドという飾りには、採鉱の場面を再現したものや、仕掛けに採鉱作業の装置からヒントを得たものがあるなど、その時代の空気は今にも伝えられています。採鉱業が衰退し、木工品と玩具の生産に活路を見いだしたのは18世紀頃で、ろくろの技法によってこの村は有名になりました。現在は3000人程の人口の内、実に2000人もの人々が玩具作りに関わっているそうです。ろくろの技法とは、水車の力をつかってろくろを回し、つくったドーナツ型の輪から、動物や人などの形を切り取っていく製法です。例えば、断面を 切ったとき象ができるように輪型をつくれば、輪切りにするだけで、全く同じ形をした象の玩具がたくさんできあがるという仕組みです。このろくろの行程はエルツ山地おもちゃ博物館や野外博物館[09]で見ることができます。野外博物館では実演もしているそうで、この動力には現在は電力が使われていますが、当初は採鉱業の技術を生かして、水車を動力にしていたそうです。

 グリューンハイニヒェンはエルツ山地の中程にあり、昔は玩具取引の中心地でした。エルツ山地の民芸品展示館[10]には、その時代から受け継がれている伝統的な技術を生かした玩具が多数、展示されています。この街は13世紀頃に開拓され、気候の厳しい土地柄のためか、農業の副業として木工品が発達しました。その後、それらの木工品が玩具へと発展していき、17世紀のはじめにはライプツィヒや各地の市場などでこれらの品が流通しました。19世紀には玩具実業専門学校が設立され、玩具職人にもマイスター制度が敷かれました。そもそも、この博物館はこの学校を改装してつくられたのです。20世紀に入る頃には、小さなこの村に自営の家内工業で玩具をつくる家が100軒以上にものぼったそうです。しかし、第1次・第2次世界大戦を経て敗戦、東西ドイツの分割によって社会主義体制の下におかれることになります(ザイフェンも同じように東ドイツに含まれました)。玩具産業が国営になり、玩具実業専門学校も閉鎖されました。現在は、ドイツの統一と共にいくつかの私営の玩具会社が復活し、再び伝統的な玩具を生産しているそうです。

 しかし、皮肉なことに旧東ドイツの地域では西に比べて、玩具市場のテレビゲームなどの割合が高いことなどが分かっています。最近では、統一直後に比べれば東西での差は少なく、近い割合になっているそうですが、やはり東ドイツ圏の方が新技術を追い掛ける気持ちが強いそうです。伝統的な技術の宝庫であるこの地域の人々が目新しいものに気をとられて、大切なものを見失わないことを願うばかりです。



【3】ドイツの知育玩具

 近年、再びブームとなっているレゴやプレイモービルを筆頭とした、知育玩具には多種多様なものが揃っています。ブランドが一年に発表するセットは優に50を越え、素材はプラスチックや金属、木材、粘土や砂までとありとあらゆる材質が使用されており、近年はコンピュータを内臓した複雑なものも発売されています。この知育玩具の定義には、無限の可能性と、森羅万象に潜む普遍的な抽象性を備えていることなどが条件にあげられます(理想をいえば)。積み木は原始的で、なおかつ玩具の一つの方向性の完成型ともいえ ます。積み木の基本的な形を定義したのはドイツに生まれた教育者で建築家のフリードリヒ・フレーベル(1782-1852)です。彼は、恩物(神からの贈り物という意味合い)と呼ばれる複数の基本的で単純な木製玩具を子供達に与えました。彼の信念は「できる限り発見するという聖なる権利を子供から奪うな」というもので、これは後に誕生する知育玩具に関わる多くの人々の思想の原点となりました。他の教育者としては、同じくドイツで生まれたエルハルト・ヴァイゲル(1625-1699)やJ・C・F・グーツムート(1759-1839)といった人物にフレーベルとの共通点が認められます。ヴァイゲルは「修身の学校」という、啓蒙主義に基づく教育を行う場をつくり、子供の教育についても、そのための場をつくるべきだと考えました。後にフレーベルの「発明」した幼稚園には、彼のアイディアが生かされたのかもしれません。グーツムートは共同生活の重要性を説いたフレーベルとは違い、一人遊びの良さについて言及しています。ただ、彼もやはり最良の玩具に、積み木をあげており、その点ではフレーベルとの共通点が認められます。しかし、フレーベルが外世界との関わり方を「学ぶ」ために恩物を作ったのとは違い、グーツムートは積み木の遊びとしての要素に重きをおいて考えました。この二つの考え方には、知育玩具という言葉を考える上でのヒントになる要素が含まれているように思えます。

 同じくドイツに生まれたルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は思想家、というよりはアイディアマン(またはマルチ・クリエイターなどの、けったいな肩書が似合う、まれな存在)としての活動が目立つ人物です。彼は、西洋哲学を出発点に、東洋の仏教的価値観などを取り入れた、ある意味、現代人にも親しみやすい世界観を構築しました。また、自ら学校などの建築物のデザインを手掛ける傍ら、医薬品の開発なども行い、また後には水槽内の水を攪拌する装置の開発者や、立体パズルのデザイナーなどにインスピレーションを与えました。彼もまた、子供の教育玩具についての考察をしていますが、彼の考えはフレーベルのものよりもさらに徹底しています。例えば、彼はフレーベルの積み木でさえも、技巧的で不自然と考えました。彼の考える、理想の玩具は一枚の布で作る人形や小枝、木切れ、木の実、小石などでした。シュタイナーのヴァルドルフ教育学を実践する、カーリン・ノイシュツは著書『おもちゃが育てる空想の翼 シュタイナーの幼児教育』で、現代の複雑な玩具を批判しています。その中にはレゴも含まれており、子供が「不自然」なまでに、この玩具に夢中になることを危惧しています(また、同氏はレゴの原料にカドミュームが含まれていることを理由にも批判していますが、1970年代にはすでにレゴ社がこの素材の使用を廃していることは、知らないようです)。シュタイナーが現代のレゴをはじめとした知育玩具をどのように思うかはわかりませんが、おそらく玩具店に溢れかえるキャラクター玩具には、深いため息をつくことでしょう。シュタイナー思想に影響を受けた、ドイツの文学者のミヒャエル・エンデの著書『モモ』には、ビビガールという名の人形が登場します。この人形は「完全無欠」です。しかし、その人形は完全無欠であるがゆえに、子供の創造力の入り込む余地はありません。確かに、完全無欠な玩具には、いいがたい魅力があります。それを集めることによって充足感が得られますし、また次々と発売されるシリーズにはデザイナー達のアイディアがふんだんに取り入れられ、魅力的な一種の鑑賞物としての側面もあります。しかし、シュタイナーやエンデはこういった玩具は子供の豊かなイマジネーションには不釣り合いだと考えたのではないでしょうか。彼らの考えには、ルソーの思想との共通点も多く、子供の玩具の問題が時代を経て普遍的であることを物語っています。

 上記の流れとはまた別に、ドイツでは19世紀末から子供の玩具に芸術性を求める動きが興りました。『ドイツの青少年のための芸術教育』を著した、コンラート・ランゲは玩具が芸術教育のうえで重要な役割をはたせることに着目した人物です。彼は、芸術を楽しむことの本質を「意識した自己欺瞞」と定義し、イリュージョンの世界にひたることこそが、重要であると唱えました。しかし、その考えの根底にあるのは、やはり素朴な玩具への志向でした。玩具、そのものに美的な完成度を求めたのはパウル・ヒルデブラントで、『子供の生活のなかのおもちゃ』という著書の中で、美的で、芸術的で、技術的にも完成された玩具こそが子供にふさわしい、という考えを披露しました。1920年代には、建築家のグロピウスが興したバウハウスをはじめとして、ドレスデンの国立工芸美術アカデミーやベルリンの工芸学校などで、新しいコンセプトのシンプルな玩具を作るようになりました。私達がベルリン滞在中に訪れたバウハウス資料館[15]にはバウハウスでデザインされた積み木や独楽が販売されており、それに加えて資料館が収集した知育玩具も展示されていました。これらのセンスの良い、そして高価な玩具は、配色も美しく、幾何学的な形状は不思議な造型を生みます。しかし、その一方でこれらの玩具には可能性という点では、あまりにも抽象的で、一般生活とかけ離れた特異なものしか生まないという欠点もあります。

 ここまで、知育玩具という視点でドイツの玩具について記述してきたわけですが、現代のドイツの知育玩具にはどのようなものがあるのでしょうか。ドイツのプレイモービルはここ数年、日本でブームになっており、多くの雑貨店などで扱うようになりました。プレイモービルは、あるシチュエーションを一つのセットに収めた、いわゆるごっこ遊びのための玩具です。つまり、プレイモービル社が決めた題で、子供たちが演じるのです。一見すると、レゴの人形と非常に似ていますが、この玩具は組み立てることが目的ではありません。あくまでも、この玩具はごっこ遊びのためのものなのです。プレイモービル社の提供する仮想世界は、牧歌的な農家の生活から、宇宙の冒険、果ては3名の医師が執刀する手術室までもが用意されています。セットに含まれるパーツも凝りに凝ったもので、一つ一つが、本物を適度に模倣して作られています(ドイツ製の玩具らしく、作りも非常にがっしりしています)。しかし、シチュエーションが細分化されれば、される程遊びの幅が制限されるというのは、前記の通りです。また、遊びの自由度に反比例して、コレクターにとっての魅力が増すというのも事実です。日本でのブームはそれに支えられる形で存在し、購入者のほとんどが大人で、集めることと、飾ること、そして見せること(現在、乱立するプレイモービルのファンサイトは、ほとんどがこの目的で作られています)が、購入動機になっています。また、残念なことに近年のレゴも、大人にとってのブームに見舞われました。これは、レゴ社の製品にコレクションする魅力が増えたことの証明であり、その自由度が加速度的に奪われていることを象徴しています。1999年のスター・ウォーズシリーズによって、レゴ社はついに本格的にキャラクター玩具市場に参入し、さらに限定された遊びへの方向性を示しました。現在、玩具店を占めるキャラクター玩具の割合は実に80%以上だそうです。これによって、子供の遊びの楽しさが失われる、などと思う程、子供の想像力をみくびったりはしませんが、だからといって、現状が良いとも思えません。現在の玩具業界にとって現状を打破する徴候は全く見えてきませんが、それでも、将来の玩具に関わる人々がフレーベルやシュタイナーから学び、子供にとっての玩具が本来の姿に戻ることを願わずにはいられません。



【4】ドイツのおもちゃ関連情報

[01] おもちゃ博物館(ニュルンベルク)
概要 世界最大級のおもちゃ博物館。ヴェルツブルクのリディア・バイエル博物館のコレクションをもとに、1971年に開設された。
所在地 Spielzeugmuseum
Karlstrase 13-15 90403 Nrnberg
TEL 0911-2313164
FAX 0911-2315495
WEB http://www.nuernberg.de/kultur/kultur/museen/
spielzeugmuseum/index.htm
開館時間 火?日 10:00?17:00(ガイド土曜14:30・日曜11:00より)
水 10:00?21:00(ガイド18:00より)
入場料 5DM 学生2.5DM(週末は入場無料)

[02] ニュルンベルク国際おもちゃ見本市(ニュルンベルク)
概要 世界規模の国際おもちゃ見本市。
開催期間 2月上旬(期間は年度によって変更あり)

[03] 人形とおもちゃの博物館(ローテンブルク)
概要 カタリーナ・エンゲルスが40年以上かけてコレクションした人形を 500体以上、閲覧できる。1780年から1940年にかけての人形をメ インに展示。
所在地 91541 Rothenburg ob der Tauber
Hofbronnengasse 13
TEL +49(9861)7330
FAX +49(9861)86748
E-MAIL claudia.lingmann@gmx.de
WEB http://www.spielzeugmuseum.rothenburg.de/index_d.html
開館時間 3?12月 09:30?18:00
1・2月 11:00?17:00(無休)
入場料 6DM 学生4DM

[04] 人形劇場(ローテンブルク)
概要 5?10分の短い小劇が続く。歌あり、手品ありで言葉がわからなくて も、飽きることがないそう。
所在地 Herrngasse 38 Rothenburg ob der Tauber
開演時間 昼15:00? 夜20:00?(10月?5月の月曜?金曜は夜のみ)
日曜休
入場料 昼10DM 夜15DM

[05] ケーテ・ウォルファルト(ローテンブルク)
概要 日本にも支店を置く、クリスマスショップの元祖(ニュルンベルクに も支店がある)。店内には、5メートルの家と、特大のツリーが鎮座 している。
所在地 Kathe Wohlfahrt GmbH & Co. KG.
Herrngasse 1-91541 Rothenburg ob der Tauber
TEL +49-9861-4090
FAX +49-9861-409410
WEB http://www.wohlfahrt.de/
営業時間 月?金 09:00?18:30
土 16:00?18:30
日曜・祝日 10:00?18:00(1月?5月の日曜・祝日は休)

[06] テディーランド(ローテンブルク)
概要 テディベア関連商品が5000種以上そろう専門店。
所在地 Herrngasse 10 Rothenburg ob der Tauber
TEL 09861-8904
FAX 09861-8944
WEB http://www.rothenburg.org/teddyland/(日本語あり)
営業時間 月?金 08:00?18:30
土曜 09:00?18:30(1月?4月の日曜・祝日は休)

[07] メルクリン博物館(ゲッピンゲン)
概要 鉄道模型で有名なメルクリン社の博物館。
所在地 Marklin Museum 8 Holzheimer Strasse Gppingen, Germany
開館時間 月?金 09:00?16:00
土 09:00?14:00(日曜休)
WEB http://www.marklin.com/about/museum.html
入場料 無料

[08] マルガレーテ・シュタイフ博物館(ギーンゲン)
概要 創業以来のぬいぐるみの多くを所有するシュタイフ社の博物館<a>。 今日までの秘蔵コレクションを数多く保存、展示。シュタイフ社創立 100周年を記念して設立された。また、同施設にはアウトレット・ ショップ<b>も併設。シュタイフ社の製品を安く購入できる。
所在地 Alleen Strasse2 D-89537 Giengen(Brenz) Germany
TEL 07322-1311
FAX 07322-131266
WEB http://www.steiff.de/
http://www.takaratoys.co.jp/BEAR/top.htm(日本語サイト)
開館時間 <a> 月?金 13:00?16:00 (博物館の土・日曜は休) <b> 月?金 09:00?18:00
土  08:30?12:00
第一土曜 08:30?16:00
入場料 無料

[09] エルツ山地おもちゃ博物館<a>・野外博物館<b>(ザイフェン)
概要 野外博物館では職人の家などを再現している。ろくろの輪型成形の実 演を見ることができる。軽井沢にある、エルツおもちゃ博物館はここ の姉妹館。
所在地 <a> Hauptstrase 73 - 09548 Seiffen
<b> Hauptstrase 203 - 09548 Seiffen
WEB http://home.t-online.de/home/Spielzeugmuseumsverein/home1.htm
開館時間 <a> 09:00?17:00(元旦は12:00? イヴと大晦日は?12:00)
<b> 09:00?17:00(11?3月は?16:00)
入場料 <a> 5DM 学生4DM
<b> 4DM 学生3DM

[10] エルツ山地の民芸品展示館(グリューンハイニヒェン)
概要 おもちゃ実業専門学校を改造して、創設された博物館。

[11] おもちゃ博物館(ミュンヒェン)
概要 15世紀後半に造られた旧市庁舎を改造してつくられた、おもちゃ博 物館。ネット上の情報では評判悪し。
所在地 Spielzeugmuseum
Alten Rathaustum,Marien Pl.
TEL 294001
開館時間 10:00?17:30
入場料 5DM

[12] おもちゃ博物館(アルスフェルト)
所在地 Spielzeugmuseum
Kirchplatz 9
TEL 06631-4117
開館時間 火?日 11:00?12:00 14:30?17:00(月曜休)
入場料 4DM 子供2DM

[13] おもちゃ博物館(トリール)
所在地 Spielzeugmuseum Trier
Nagelstrasse 4-5 54290 Trier
TEL 0651-75850
FAX 0651-9943875
E-MAIL info@spielzeugmuseum-trier.de
WEB http://www.spielzeugmuseum-trier.de/index.htm

[14] ドイツ歴史博物館(ベルリン)
概要 ドイツの歴史が専門の博物館。もちろん玩具の展示もあり。
(2001年末まで工事のため休館)
所在地 Deutsches Historisches Museum (Zeughaus)
Unter den Linden 2
TEL 030-203040
WEB http://www.dhm.de/
開館時間 木?火 10:00?18:00

[15] バウハウス資料館(ベルリン)
概要 1920年代に興った総合造型学校バウハウスの当時の資料を中心に展 示。バウハウスの思想に基づいた、積み木や組み立て玩具なども展 示・販売している。
所在地 Bauhaus-Archiv / Museum fr Gestaltung
Klingelhferstrase 14 D - 10785 Berlin
TEL 030-2540020
030-25400278(インフォメーション)
FAX 030-25400210
E-MAIL bauhaus@bauhaus.de
WEB http://www.bauhaus.de/index.htm
開館時間 水?月 10:00?17:00(火曜休)
入場料 4DM 学生2DM(月曜は無料)

[16] プレイモービル・ファンパーク
所在地 PLAYMOBIL-FunPark
Brandstatterstr.2-10 90513 Zindorf/Nurnberg
TEL 0911-9666-0
WEB http://www.playmobil.com/usfunparks/funparks.html
開園時間 07/24?09/26 10:00?18:00
09/27?12月 月?金 10:00?19:00 土 10:00?15:00(日曜休)
入園料 野外施設 2DM(その他の施設は無料)

*グーグルで、<Spielzeugmuseum>をキーワードに検索した所、3490件のヒット。少なくとも、100近くのおもちゃ博物館があることが判明。今後、順次情報を追加予定。



【5】参考資料

01:『ドイツ=おもちゃの国の物語』
川西芙沙=文 一志敦子=絵 東京書籍=発行
02:『おもちゃの文化史』
アントニア・フレイザー=著 和久洋三=監訳者 玉川大学出版部=発行
03:『おもちゃが育てる空想の翼 シュタイナーの幼児教育』
カーリン・ノイシュツ=著 寺田隆生=訳 学陽書房=発行
04:『おもちゃ博物誌』
斎藤良輔=著 騒人社=発行
05:『フレーベル研究』
荘司雅子=著 玉川大学出版部=発行
06:『ドイツ・クリスマスの旅』
谷中央/長橋由理=文・写真 東京書籍=発行
07:『レゴの本』
ヘンリー・ヴィンセック=著 成川善継=訳 リブロポート=発行
08:『Baukasten!』
Ulf Leinweber=著 Staatliche Museen Kassel=発行
09:『世界のおもちゃ』
伊藤隆一=著 北海道新聞社=発行
10:『JTB ワールドガイド ヨーロッパ(3) ドイツ '00?'01』
黒沢明夫=編 JTB=発行
11:『地球の歩き方 (25) ドイツ 2001?2002年版』
「地球の歩き方」編集部=著・編 ダイアモンド・ビッグ社=発行

                                                      98年度生 H・T