※ このレポートは、風の学園の学習の一環として、各ゼミ生が担当をして作成しています。

            沖縄の米軍基地

【米軍基地の概要】
1.概況
沖縄には、平成9年3月末現在、県下53市町村のうち25市町村にわたって39施設・24,286haの米軍基地が所在しており、県土面積の10.7%を占めている。

このような米軍基地の復帰後の推移をみると、復帰時の87施設・28,661ヘクタールに比べ、施設数では減少が見られるものの、面積は復帰時の84.7%と、15.3%の減少にとどまっており基地の状況は大勢では変動がないことを示している。

また、米軍基地の状況を全国と比べてみると、在沖米軍基地は全国に所在する米軍基地面積の24.6%に相当し、北海道の40.7%に次いで大きな面積を占めている。しかし、米軍が常時使用できる専用施設に限ってみると実に全国の74.8%が本県に集中しており、他の都道府県に比べて過重な基地の負担を負わされていることを示している。ちなみに、他の都道府県の面積に占める米軍基地の割合を見ると、沖縄県の10.7%に対し、静岡県(1.2%)と山梨県(1.1%)が1%台であるほかは、他は1%にも満たない状況であり、また国土面積に占める米軍基地の割合は0.26%である。さらに、沖縄県においては米軍基地面積の96.8%が専用施設であるのに対し、他の都道府県における米軍専用施設は米軍基地面積の10.76%に過ぎず、大半は自衛隊施設等を米軍が一時的に使用する状態となっている。

2. 区別分布状況
沖縄県における米軍基地の地区分布状況をみると、北部地区に最も多く、全面積の69.2%が同地区に集中している。同地区には、県内最大の演習場で、部隊の移動訓練やサバイバル訓練、ゲリラ訓練等様々な訓練が行われている北部訓練場をはじめ、実弾射撃訓練及び爆発物処理施設として使用されているキャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン等16,815haの基地が所在し、地域の20.4%を占めている。

次いで多いのが中部地区で全体の29.6%(7,178ha)を占めており、地域の面積の25.8%を占めている。同地区の米軍基地は、面積は北部より少ないものの、太平洋地域で最大の米軍基地である「嘉手納飛行場」や在日米軍基地でも有数のヘリコプター基地である「普天間飛行場」をはじめ、在沖米海軍隊基地司令部がある「キャンプ瑞慶覧」、大規模な弾薬貯蔵施設である「嘉手納弾薬庫地区」、平成8年7月までパラシュート降下訓練が実施されていた「読谷補助飛行場」、「象の檻」と呼ばれる通信施設をもつ「楚辺通信所」、神奈川県横須賀及び長崎県佐世保と並び我が国における米軍原子力潜水艦の寄港地となっている「ホワイト・ビーチ地区」等々米軍にとって極めて重要な基地が集中している。在沖米軍四軍の司令部もこの地区におかれている。
 
次に、南部地区の米軍基地は201haで、全体の0.8%、地域面積の0.6%となっている。同地区の米軍基地は、復帰当初は1,308haもあったが、その後、自衛隊基地への引継ぎや、さらには那覇市を中心に同地区に所在する米軍基地については、日米間で返還合意をみた施設の返還又は移設作業が進んだ結果、現在では「那覇港湾施設」を除くと離島地域にあるいくつかの射爆撃場を残すのみとなっている。

八重山地区の米軍基地は、尖閣諸島にある2つの射爆撃場のみであるが現在はほとんど使用されていない状況となっている。なお、宮古地区には米軍基地はおかれていない。

次に、これらの基地の市町村面積に占める割合をみると、嘉手納町の82.8%を筆頭に金武町の59.6%、北谷町の56.4%、宜野座村の51.5%と、これらの市町村では実に行政面機の半分以上が米軍基地となっているほか、上位9位までの市町村でも米軍基地は地域の面積の30%以上を占めている。

市町村に占める基地の集中度は、人口密度の統計からもみることができる。これは、陸地面積から基地面積を差し引いた面積にかかる人口密度を表したもので、特に普天間基地を抱える宜野湾市の人口密度は6,462.0人/kuであり、那覇市の7,742.0人/kuに次いで高い人口密度を有する。また、嘉手納町(5,241人/ku)、北谷町(4,106.1人/ku)沖縄市(3,751.4人/ku)も同様に高い数値を示している。

3.所有形態別状況
沖縄県の米軍基地面積の所有形態別状況をみると、私有地が32.8%、市町村有地が30.4%、県有地が3.4%と、全体の約7割が公・民有地となっており、国有地は約3割(33.4%)である。これは、本土の米軍基地面積の約87%が国有地で、民有地は13%に過ぎないのに比べ、大きな特徴であり、本土の米軍基地の大半が戦前の旧日本軍の基地をそのまま使用してきたのに対し、沖縄県の米軍基地は、旧日本軍の使用に止まらず、かつての「土地闘争」にみられるように、米軍による民公有地の新規接収が各地で行われた背景の違いを表している。

このように、沖縄県の米軍基地は、ただ単に面積が広大であるばかりでなく、その所有形態においても他の都道府県の米軍基地とは相違しており、整理縮小や返還跡地の利用促進を図る上でも解決しなければならない課題が多いなど基地問題の難しさを物語っている。

4.用途別使用状況
本県の米軍基地の用途別状況をみると、「演習場」が施設数、面積とも最も多く、17施設・16,832.6ha(全基地面積の69.3%)となっている。

この「演習場」施設には、県内最大の面積を有する「北部訓練場」をはじめ実弾射撃訓練が行われる「キャンプ・シュワブ」や「キャンプ・ハンセン」、パラシュート降下訓練が行われていた「読谷補助飛行場」、部隊の上陸訓練が行われる「金武ブルー・ビーチ訓練場」「金武レッド・ビーチ訓練場」などのほか、南部地区や八重山地区(尖閣諸島)の離島に所在する射爆撃場等がある。なお、「演習場」施設の面積の97.3%(8施設)は北部地区に集中している。

施設面積で次いで多いのが「倉庫」で、4施設・3,330.0ha(全基地面積の13.7%)を占めている。この施設には、各軍が必要とする弾薬の総合貯蔵・補給施設として重要な役割を果たしている「嘉手納弾薬庫地区」や「辺野古弾薬庫」の2つの弾薬庫のほか、在日米軍の中でも主要な兵站基地となっている「牧港補給地区」等があるが、「嘉手納弾薬庫地区」だけで「倉庫」施設の面積の8割以上を占めている。

3番目に面積が多いのが「飛行場」施設で、「嘉手納飛行場」と「普天間飛行場」の2施設・2,475.9haである。この両施設はいずれも中部地区に所在し、しかもそれぞれ空軍及び海兵隊の中枢基地となっているものである。

このほか、沖縄県の米軍基地には「キャンプ端慶覧」や「キャンプ・コートニ−」等の「兵舎」施設が4施設・890.8ha、「慶佐次通信所」や陸軍特殊部隊(グリーンベレー)が配備されている「トリイ通信施設」等の「通信施設」が6施設所在し、その面積は372.5haとなっている。

また、第7艦隊の兵站支援港原子力水艦の寄港地としても重要な役割を果たしている「ホワイトビーチ地区」や湾岸戦争の際の軍事物資積み出し港として使用された「那覇港湾施設」等の「港湾」施設が3施設・217.8ha、軍病院が置かれている「医療」施設が1施設・106.7haとなっているほか、明確な用途区分ができない「その他」(奥間レスト・センター)の施設が1施設54.6haとなっている。

5.軍人軍属及び家族数
沖縄に配属された米軍人の数は、昭和47年の約39,350人を最高に平成元年までにほぼ30,000〜34,000人台で推移していたが、平成2年以降は27,000〜29,000人のレベルを維持している。軍人数の変化については、米軍の再編・統合計画によるものや、国際情勢や米国の財政状況などの外的要因など様々な要素が上げられるが、復帰後の数ヵ年を除き、大幅な削減は行われていない。なお、米軍に雇用される軍属については、昭和47年の約2,900人から暫時減少し、昭和53年以降平成4年までに1,000人未満で推移しているが、平成5年以降は逆に増加している。また、これら軍人軍属の家族の推移をみると、人数が把握されている昭和49年及び50年の約24,000人から減少し、昭和51年以降58年までの8年間は約15,000人〜18,000人のレベルを推移していたが、昭和59年から再び20,000人台に復帰した後は、平成2年約19,000人に減じたのを除き、現在では逆に増え、20.000人以上を維持している。

一方で、軍別状況については、大きな変化が見られる。特に陸軍は大きく変動しており、復帰時から比較すると現在では、約10分の1にまで減少している。その一方で、海兵隊については、陸軍の機能を引き継ぎ、その規模を維持している。その要因としては、復帰に伴い、それまでに在沖米軍の主力であった陸軍の代わりに海兵隊が暫時強化されるなど、施設管理権の再編がこうした変動をもたらしている。ちなみに、「キャンプ端慶覧」、「嘉手納弾薬庫地区」、「牧港補給地区」は、陸軍から海兵隊へ移管された。また、復帰後の自衛隊基地への引き継ぎなども陸軍の減少要因となっている。



【軍別状況】
沖縄県に所在する米軍基地を軍別の管理形態によって区別すると、海兵隊、空軍、海軍及び陸軍となるが、これらの単独管理施設のほかに、2以上の軍が共用している施設もある。

1.海兵隊
海兵隊は施設数、施設面積とも最も大きく、17施設・18,376.6ha(全施設面積の75.7%)を占めており、軍人数も在沖米軍の総兵員数の60.4%が海兵隊員となっている。海兵隊には、「キャンプ・コートニ−」の第3海兵遠征軍の下に、地上部隊を形成する第3海兵師団が同じく「キャンプ・コートニ−」に、また、これらの実戦部隊の後方支援部隊である第3部隊役務支援軍が「牧港補給地区」に置かれている。なお、これらの上級司令部に所属する主な部隊として、第3海兵師団の下には、第4海兵連隊「キャンプ・シュワブ」、6ヶ月交代で駐留する歩兵大隊「キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ」があり、実弾射撃訓練を実施している。

また、第12海兵連隊が「キャンプ瑞慶覧」に置かれているほか、第1海兵航空団の下の実戦部隊として「普天間飛行場」に第36海兵航空群が、後方支援部隊として第17海兵航空支援群が、「キャンプ瑞慶覧」に、第18海兵航空管制群が「普天間飛行場」に配備されている。

沖縄県の海兵隊基地は、復帰に伴い、それまでの在沖米軍の主力であった陸軍に代わり暫時強化され、昭和50年6月、「キャンプ瑞慶覧」の施設管理権が陸軍から海兵隊に移管されたほか、昭和51年4月には第1海兵航空団司令部が山口県岩国基地から「キャンプ瑞慶覧」へ移駐し、昭和54年には岩国基地に駐留していた第17海兵航空団支援軍「キャンプ瑞慶覧」に移駐した。また、「辺野古弾薬庫」が陸軍から、「伊江島補助飛行場」が空軍から海兵隊にそれぞれ移管された。

2. 空軍
空軍基地は7施設・2,143.6haで全面積の8.8%となっている。これに対し、軍人数は全兵力の25.4%と、約4分の1を占めており、海兵隊と並び在沖米軍の主力となっている。

空軍は、横田基地に司令部を置く第5空軍の指揮管理の下に、第18航空団が配置され、その管轄下にそれぞれ「第18作戦群」「第18支援群」「第18医療群」が置かれている。 また、関連部隊として第353特殊作戦群、第390諜報中隊、第633空輸機動支援中隊が配置されている。空軍の施設には、嘉手納飛行場のほかに、「八重岳通信所」、「瀬名波通信施設」の通信施設や、「鳥島射爆撃場」、「出砂島射爆撃場」、「久米島射爆撃場」などの演習場、保養施設である「奥間レスト・センター」などがある。

3. 海軍
海軍は、7施設・319haを有し、軍人数は全兵力の11.1%である。嘉手納飛行場の一角に「在沖米艦隊活動/嘉手納海軍航空施設司令部」の本部がある。

海軍の施設としては、「慶佐次通信所」、「楚辺通信所」、「泡瀬通信施設」などの通信施設や、「黄尾嶼射爆撃場」、「赤尾嶼射爆撃場」、「沖大東島射爆撃場」などの演習場のほか、「天願桟橋」がある。その他、陸軍の共用施設としての「ホワイト・ビーチ地区」がある。

4. 陸軍
陸軍の基地は、4施設・384.7ha(全施設面積の1.6%)で、軍人数は全兵力の3.1%である。陸軍は、「トリイ通信施設」に司令部として第10地域支援群が、その他、第1特殊部隊群が置かれている。

陸軍は、沖縄の占領当初から復帰時まで一貫として軍政を担当し、復帰時には46施設を有し、全基地数の52.9%を占めるなど在沖米軍の中核になっていたが、基地の再編により、現在では最も小規模なものになっている。ちなみに、「キャンプ瑞慶覧」は昭和50年6月には、「嘉手納弾薬庫地区」は昭和52年8月に、「牧港補給地区」は昭和53年10月に海兵隊へそれぞれ移管された、また、昭和50年6月には、在沖米軍を代表する「在日米軍4軍調整官」も陸軍司令官から海兵隊司令官に代わった。陸軍には、「トリイ通信施設」のほかに、「那覇港湾施設」、「陸軍貯油施設」、「工兵隊事務所」などがある。

共用施設
2以上の軍が共同で管理している共用施設はm3施設・3,036.1haであり、「嘉手納弾薬庫地区」が空軍と海兵隊の、「キャンプ・シールズ」が空軍与海軍の、「ホワイト・ビーチ地区」が海軍と陸軍の共用施設となっている。
                                                96年度生 S.K.

参考資料 沖縄の米軍基地(沖縄県)