※ このレポートは、風の学園の学習の一環として、各ゼミ生が担当をして作成しています。

ベトナムの歴史・ベトナム戦争時代

                ベトナム戦争略史・抗仏時代(1945〜1954年)
【年表】
1939年 第2次世界大戦起きる(〜45) インドシナ共産党第6回中央委員会
1940年 日本軍、北部仏印進駐 インドシナ共産党第7回中央委員会
      フランス、ナチスに降伏

1941年 太平洋戦争始まる(〜45) 日本南部仏印進駐 インドシナ共産党第8回
      中央委員会、ベトミン(ベトナム独立同盟)結成
1945年 日本軍、印仏処理、インドシナ三国の独立付与
      ベトナム8月革命、「ベトナム民主共和国」独立宣言

1946年 第1次インドシナ戦争本格化
1947年 東南アジア連盟結成 自由タイ政府、クーデタで崩壊 コミンフォルム
1949年 フランス傀儡ベトナム国建国 中華人民共和国建国
1951年 インドシナ共産党第2回大会(ベトナム労働党成立)
1954年 ディエンビエンフーの戦い
      ジュネーブ協定成立、第1次インドシナ戦争終結
      南北分断(北緯17度線)

【抗仏時代】
・ベトナム8月革命
ベトナムは、10世紀に中国からの自立を達成して以来、19世紀後半にフランスの植民地支配下にはいるまで、長い独立の歴史をもっていました。ベトナムの伝統国家の範囲が南のメコンデルタまで拡大するのは18世紀のことです。今のような南北に細長くのびた領土が、統一的な支配の下に置かれたのは、19世紀前半のグェン朝の時代になってからです。しかも、ベトナムを支配したフランスは、カンボジア、ラオスとともにインドシナという形でこの地域を支配しました。ベトナム人が集中して居住している地域はトンキン(北部)、アンナン(中部)、コーチシナ(南部)の3地域に分裂されました。結果、地図の上からベトナムという国家は消滅されました。植民地支配に抵抗したベトナム人の多くは、ベトナムの独立の回復を強く求めていましたが、ベトナム一国だけの再独立なのか、インドシナ各国との同時独立なのか、その運動の方向性には様々な難しさが含まれていました。

第二次世界大戦の末期、ベトナムは日本の占領下に置かれました。日本の敗戦と同時に植民地支配からの解放を求めるベトナムの人々は、ホー・チ・ミンとインドシナ共産党のもとに1941年に結成されていたベトミン(ベトナム独立同盟)に結集して蝶起をしました。このベトミンの8月革命は、それがきわめて大衆的な政治運動であり、ベトミンの武装勢力や共産党支配者だけでなく、それまで親日的な政治組織に参加していた人々や、あらゆる政治活動に加わっていなかったような人々をも広範に結集した点に大きな特徴がありました。そのために、共産党とベトミンの組織力には地域ごとに大きな相違がありましたが、8月革命の蝶起は、ハノイ・フエ・サイゴン3大都市をふくむベトナム全土で成功しました。ホー・チ・ミン氏が1945年9月2日の独立を宣言したベトナム民主共和国は全国政権であり、そのことがベトミンにきわめて大きな正統性を付与することになりました。

・フランスによる再植民地化
この『ベトナム民族』の独立と、『ベトナムの統一』を、国際社会が承認していれば、その後30年間にわたる戦争は発生しなかった思います。しかし残念ながら当時の国際社会にはその用意はありませんでした。特に旧植民地宗主国のフランスは、インドシナ植民地を放棄する気持ちはさらさら持っていませんでした。ベトナム、カンボジア、ラオスの独立勢力とフランスとの緊張は次第に高まりました。

1946年12月には、ベトナム民主共和国とフランスとの間の軍事対決が全面化して、第一次インドシナ戦争が本格化しました。フランスは、植民地統治時代のイメージでベトナムを見ており、8月革命を通じて形成された民主ベトナムの力を軽く見ていました。フランスの予測に反して現地の人々の抵抗は強力で、戦争は長期化しました。さらに、1949年10月に中華人民共和国が成立したことは、インドシナ戦争にも大きな影響を及ぼします。

隣接する支援者も得たベトナムの軍事的な力は急速に強化されました。フランスはこれに対して、アメリカに軍事的な支援をあおぎます。インドシナ戦争は東西冷戦構造の中の熱い戦争という性格を帯びるようになっていきます。アメリカからの支援を受けてもフランスは、優勢に立つことはできませんでした。共産党(1951年にベトナム労働党の改称)とベトミンは、人口の多数を占める農民たちからの強い協力支援体制を作りあげていました。1953年からは、さらなる強力動員態勢をつくるため、地主制を廃止して農民に土地を分配する土地革命に本格的に着手しました。農民たちは、「自分の土地」という具体的な成果目標ができたことによって、「民族の独立」を現実的な希望としました。そのことが闘いへの彼らの献身的な意識をより引き出したのでした。短時間で終わると思われていた植民地再征服戦争が長期化するにしたがいフランス国内の反戦世論も高まりを見せました。窮地に追い込まれたフランス政府は、戦局の打開をはかるために1953年末にベトナム北西のラオスとの国境に近いディエンビエンフーに強固な陣地を設置し、ここにベトナム軍主力をおびき寄せ、大打撃を与えようとしました。がしかし、これは逆にベトナム軍側の志気を高め、農民をはじめとする挙国一致の人海戦術でフランス軍を徹底的に打ちのめしました。1954年5月7日にディエンビエンフーは陥落し、ここにフランスのインドシナ軍事支配の望みは完全に打ち砕かれました。

                                       つづく
【参考文献】
・歴史としてのベトナム戦争(大月書店) 古田 元夫 著
・ベトナムの世界史(東京大学出版) 古田 元夫 著
・ベトナム戦争の記録(大月書店)
・ベトナムの辞典(同朋舎) など多数