沖縄の平和学習とオルタナティブ教育
−沖縄における同化と交流のゆらぎ−
                        柳下 換

 序章「教育という違和感」


【1】違和感というゆらぎ


 (1)私的違和感の歴史
 (2)「ゆらぎ」から「自由」へのサブリミナル

【2】「自由」から「平和」への方法序説

 (1)まなざしの中心
 (2)フィルターを通した画像の輪郭

【3】平和のまなざしを「学び」として伝える系譜的なもの

 (1)足がかりとなる場所
 (2)足場の状況

【4】「同化」と「交流」の振幅を拾い出し学習リソース化する試み

【5】「教育」から「学ぶ」ことへ


 (1)「自由」を獲得するための「学び」
 (2)オルタナティブ
 (3)日本国憲法第9条


 第1章「脱・国家教育の試み」

【1】もう1つの学びの場系譜(オルタナティブ教育)


 (1)ヨーロッパを中心とした学校という形態の歴史
 (2)日本の学校形態の歴史
 (3)新教育の歴史

【2】オルタナティブ教育

 (1)オルタナティブ教育の流れ
 (2)1980年代以降の日本のオルタナティブ教育

【3】オルタナティブ教育としての「鎌倉・風の学園」

 (1)経緯
 (2)教育理念
 (3)教育の目標
 (4)学習の方法(通学コースのテクニカルコースを中心に)
 (5)総合的テーマ「自由」「自律」「平和」について
 (6)教員の役割
 (7)学習の評価

【4】「鎌倉・風の学園」の試みを通じて考察をしたオルタナティブ教育観

 (1)教育理念・学習目標
 (2)学習観
 (3)学習方法論

【5】小結「真のオルタナティブ教育とは、日本のオルタナティブ教育の可能性」


 第2章「平和学習リソース」

【1】今回の学習リソースの位置づけとその目的


 (1)位置づけ
 (2)目的

【2】「沖縄編学習リソース」(同化と交流のゆらぎ)

T「琉球王国成立の過程において、仏教はどのような役割を果たしたのか」


【1】はじめに
【2】琉球と仏教
(1)聖徳太子と護国思想
(2)空海と真言密教
(3)八幡信仰とヲナリ神信仰
(4)鎌倉幕府と栄西の臨済宗
(5)勝連阿麻和利とおもろさうし、そして鎌倉幕府への思い
(6)琉球王国中央集権化と仏教との関係
【3】まとめ

U「琉球王家(尚家)はいつごろから三つ巴の紋章を使うようになったのか」

【1】視点
【2】琉球王府とヤマト政権との交流
(1)琉球における対日貿易
(2)渡航回数からみた進貢・東南アジア貿易と室町幕府時の琉日貿易の関連について
(3)中世琉球交易期における室町幕府の状況
【3】琉球王府・室町幕府にとっての三つ巴の紋章
(1)琉球王府における三つ巴の紋章との関係
(2)室町幕府における三つ巴の紋章との関係
(3)琉球王府にとって三つ巴の紋章を掲げることの意義
【4】琉球王府はいつ頃から三つ巴の紋章を使うようになったのか

V「薩摩侵入後(近世琉球)の琉球において石高制は機能したのか」

【1】はじめに
【2】太閤検地と石高制
(1)検地の時代
(2)単位の話し
(3)検地と石高制の仕組み
(4)検地の実際
(5)石高制の実施によって起こったこと
【3】島津氏(薩摩藩)の検地以降の税制
(1)島津氏(薩摩藩)における検地の実施
(2)島津氏(薩摩藩)における石高制を支えた仕組み
(3)島津氏(薩摩藩)における税制の実際
【4】沖縄島を中心とした琉球の税制
(1)古琉球時代とは
(2)古琉球社会の発展の様子
(3)古琉球時代の税制の背景
(4)古琉球時代の税制の仕組み
(5)島津氏(薩摩藩)の侵入と慶長検地
(6)琉球の石高制
【5】まとめ

W「古琉球時代の琉球民衆は何を主食としていたのか」

【1】はじめに
【2】検討の視点
(1)古琉球時代ならびに近世琉球時代とは
(2)視点の検討
【3】近世琉球時代の民衆の主食は何であったのか
(1)近世琉球における田畑の耕作面積と生産量
(2)近世琉球における年貢率
(3)士族たちの人口動態と石高の関係
(4)農民たちのくらしはどうやって確保されたのか、サツマイモ(甘藷)の登場
(5)近世琉球におけるサツマイモ(甘藷)主食説を裏付けるための2つの考察
(6)近世琉球において農民の主食はサツマイモ(甘藷)であった
【4】古琉球時代の民衆の主たる食糧が何であったのか(推察−1)
【5】古琉球時代の人口はどのくらいであったのか
(1)人口増加率
(2)平均人口増加率からみた古琉球時代の人口
(3)食糧生産高からみた人口推移
(4)平均人口増加率からみた人口推移が食糧生産高からみた人口推移を上回ったのはいつか
【6】古琉球時代の民衆の主たる食糧が何であったのか(推察−2)
【7】まとめにかえて新たな課題

X「近世琉球王府において、なぜトキ・ユタ制は禁圧されたのか」

【1】はじめに
【2】学習するときの一視点としての原子論的考え
【3】古琉球時代・近世琉球時代とは
【4】巫女信仰・ヲナリ神信仰
【5】トキとは、ユタとは、ノロとは
(1)トキとは
(2)ユタとは
(3)ノロとは
(4)ユタとノロの違い
【6】琉球王府にとっての宗教政策(ノロ制)
(1)ノロ制の組織
(2)ノロたちの仕事
(3)王権にとってのノロの意味
【7】トキ・ユタ禁圧の流れ
(1)ユタ禁止の前提
(2)首里王府とトキ・ユタ禁圧
【8】トキ・ユタ禁圧の背景
(1)羽地朝秀と蔡温
(2)時代の視点
(3)時代背景
【9】近世琉球において、なぜトキ・ユタは禁圧されたのか
【10】まとめ

Y「琉球処分は日本による植民地化政策だったのか」

【1】はじめに
【2】琉球処分とは
【3】植民地政策に絡む様々な施策
(1)帝国主義
(2)植民地政策
(3)同化政策
(4)皇民化政策
【4】植民地化する価値の検討
【5】砂糖の価値
【6】外交手腕の価値
【7】大陸進出の足がかりとしての価値
【8】市場・兵力としての価値
(1)比較検討の視点と範囲
(2)同化政策と皇民化政策
(3)近代化政策と皇民化政策の矛盾、そして、皇民化政策の最終目標
(4)各地域の比較検討のポイント
(5)同化政策としての同化教育、皇民化政策としての皇民化教育、4地域の検討
(6)日本における同化政策ならびに皇民化政策
【9】まとめにかえて、「琉球処分」は日本の植民地化政策だったのか


 第3章「波乗りの仕方」

【1】琉球陶器

【2】鉄人28号・鉄腕アトムそして暴力批判

【3】喜瀬武原(キセンバル)原景

【4】ゆらぎの中の日本国憲法第9条

【5】結論「波乗りの仕方」


 
あとがき


本書の要旨「沖縄の平和学習とオルタナティブ教育」
−沖縄における同化と交流のゆらぎ−
 本書は、教育のオルタナティブとしての「学び」という営みを、本来の学習活動であると捉え、その方法論を述べた上で、その手法を使い、「沖縄」という学習フィールドを対象として、「平和」の破壊構造を学ぶための学習リソースを提案したものである。
 今回提案した「平和」の構造を学ぶための学習リソースは、その理論と視点を理解してもらう目的もあったため、問題集という形ではなく授業書という体裁にした。また、学習リソースの提案の後には、今回提案した学習リソース群を通じて見えてきた「沖縄」という場所が「平和」という意識に対して「意味するもの」という点についても、入り口的な見解ではあるが付加することにした。

 実際の内容は、序章で本論の出発地点を筆者の意識とともに明らかにした。その中心となるものは、筆者自身が日本の社会の中で生活をしてきて、感じ取ってきた様々な違和感、具体的な言い方をすれば、目の前で起きているあらゆる事象の持つ「ゆらぎ」、すなわち、両義性は自分自身にとって、社会にとって、人間にとって、一体どのような意味を持つものであるのかという疑問であった。そうした始まりの意識のもと筆者は、約20年間にわたり「人間にとって本当の学びとは」という命題を追求するための試行的実践を行ってきた。

 第1章では、世界の中にある教育のオルタナティブとしての学びの系譜と、自らが行ってきた学びの実践とを比較検証し、日本の学びの中にある可能性について論じた。

 第2章では、筆者が行ってきた学びの手法(学習方法論)を活用した、平和の構造を学ぶための学習リソース群を提供している。今回の平和学習のためのリソース群は、筆者自身がエクスポージャーとして長年にわたり対象フィールドとしてきた「沖縄」という地を題材にし、初めての試みであるため時間的な幅を日本でいうところの中世から近世、および近代初めまでと区切って、学習リソース化することを試みている。どの学習テーマも、沖縄と日本の「同化と交流」の歴史に着目したものである。その視点は、こうしたゆらぎの中にこそ、平和を破壊する潜在的仕組みが隠蔽されているはずであるという思いのもと、拾い出されたものばかりである。そのテーマは以下の通りである。

T「琉球王国成立の過程において、仏教はどのような役割をしたのか」
 第T編では、日本と琉球の中央集権化の過程の中で、その共通要素であった「宗教」,特に「仏教」中でも「真言密教」と「禅宗臨済宗」が担った役割というものについて、国家という視点から比較検討した。

U「琉球王家はいつ頃から三つ巴の紋章を使うようになったのか」
 第U編では、本来、家紋を使うという慣習のなかった琉球王府が、ある時期から日本神道を代表する宇佐八幡宮や石清水八幡宮の神紋である「左三つ巴紋」を王家の紋章として使いだす。今までそうした習慣がなかった琉球王家が、なぜ急にそうしたヤマトの慣習である紋章それも神紋を使い出したのか、当時の琉日間における交易事業との関連からその謎について検討した。

V「薩摩侵入後の琉球において石高制は機能したのか」
 第V編は、太閤秀吉が、日本で天下をとるため実施をした様々な政策の中で、兵粮米の確保であったり、知行制の確立などが目的であった石高制が、ヤマトで機能したように、薩摩侵入後、琉球に課せられたとき、同じように機能したのかどうかを、ヤマト・薩摩・琉球という3地点において、より民衆に近い立場から、特に実施税率などを中心として比較検討した。

W「古琉球時代の琉球民衆は何を主食としていたのか」
 第W編では、薩摩が侵入した後の琉球における民衆たちの主食がサツマイモ(甘藷)であったことを検証した上で、サツマイモが伝わってくる以前の琉球における民衆の主食は何であったのかということを推察した。この考察は、琉球王国が繁栄と衰退を経験したる、沖縄でいうところの古琉球時代の琉球社会の様子を再現するものである。このことは、琉球民衆の潜在意識の中に形成された海洋民族としてのアイデンティティーの系譜を紐解くことにつながる。

X「近世琉球王府において、なぜトキ・ユタ制は禁圧されたか」
 第X編は、古琉球時代においては国家宗教の一翼を担い、集権化の装置の1つとして機能していた琉球神道系の民族宗教が、薩摩が侵入した後の近世琉球において、禁圧される。その背景を社会構造の変化に伴う構造改革であったと着目し、琉球文化とヤマト文化との受容し合う両義的ゆらぎの中に、両国の国家的為政者の欲望をあぶり出す試みをした。

Y「琉球処分は日本による植民地化政策だったのか」
 最終編では、明治維新後の日本の近代化政策というものが、どういった性格を持っていたものであったのか、その意味を指し示した例として、明治維新直後より沖縄に対して実施をされた明治政府の政策を示準にして、その他地域において実施をされた植民地政策(教育)・同化政策(同化教育)・皇民化政策(皇民化教育)をも材料にして比較検討した。

 第2章では、こうした沖縄と日本を巡る「同化と交流」のゆらぎ、すなわち両義性を持つ要素を学習リソースとして拾い上げ、その潜在構造として存在する「平和」の維持と破壊という両義的なエネルギーの振幅構造を垣間見ることを目的とした。なお、度重ねての主張ではあるが、第2章において主張していることは、歴史的・経済的な事実の正偽主張ではなく、沖縄と日本の間で起きた史実を意味するものとして見たときに、どういった方法によって、どういった学びができるのかということを指し示したものであり、正しい偽りの論証を求めたものではない。ただし、もし学習機械として指し示したものに興味が湧き、その正偽を確かめたく学習を深めることを学習者の方々が希望するのだとすれば、それを否定するものではない。むしろ、大いに深めてもらえるのであれば、まさに第2章の学習リソース群が意図をした平和学習機械の投入稼働を意味することになるので、喜ばしいかぎりである。

 そして、第3章では、第1章・第2章を通じて意味したものを、沖縄における実際と照らし合わせ、より具体的に説明をした。特に本論における主テーマであった、沖縄地域におけるその土台構造において存在をする「平和」を希望するエネルギーとその他の地域、特に近代日本をはじめとする資本主義社会が欲望する「貨幣」というエネルギーとの関係、そして、両者のせめぎ合いの中で発生する「暴力」の仕組み、つまり「平和」でない状態を発生させる仕組みについて、「同化と交流のゆらぎが、沖縄と日本との関係を作ってきた。その関係性が沖縄(琉球)と日本(国家・民族)を結びつけている。そこに共同態(沖縄)を破壊する様々な暴力が発生する」と沖縄が意味している平和破壊の構造を解説した。
 結果として本論中にも書いたように、本論は、まだ平和機械を開発する試みの入り口的な意味しか持ってはいないが、「暴力」が発生する仕組みとそれを廃絶する仕組みの両方を意味する場所としての「沖縄」という場所の重要性を明らかにすることができたと思う。

 そうした「沖縄」という場所が持つ、平和機械としての可能性を嗅ぎ取ることができたことは、本論の研究の継続発展は、今後の平和学習としての構造平和学的領域の確立、すなわちポスト構造主義的な視野をも視界に入れた、構造的暴力からの逃走の可能性も十分に予感させることになった。

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