第5章 「教育」のオルタナティブとしての「学び」の可能性について

 1.本来のオルタナティブ教育とは


 オルタナティブ教育の祖形を考えるには、やはりヨーロッパにおけるオルタナティブ教育を考えることになるであろう。そこで本節では、さらに時代を細かく分け本来のオルタナティブ教育というものを考えてみたい。

 1970年代・80年代以前のヨーロッパにおけるオルタナティブ教育は、国家の装置として機能させられた教育により、子どもたちが戦争に荷担させられていった事実を反省するものであった。戦勝国であれ、敗戦国であれ、帝国主義的資本主義の発展の結果、教育の目的は、富国強兵の歯車である国民を作るために教育が利用された。その最大の成果が第2次世界大戦であったわけだ。そうした事実を反省するということは、富国強兵政策を支える国家教育に対するオルタナティブ教育、すなわち、原国家(帝国主義的資本主義国家)における国家教育に対するオルタナティブ教育であった。それが国家から学ぶ権利を学習者の側へ取り戻す作業、例えば、生徒の自治ならびに学習権の確立などであったことは明白だ。

 80年代以降、ある意味で国家のオルタナティブであった偽社会主義国が崩壊する。このことは、ヨーロッパの西側諸国に、資本主義も社会主義も学び内包している経験を持つ自分たちが新しく構想する福祉国家こそ、次世代の国家としてのオルタナティブであると思わせた。結果、福祉や環境を重視した教育がオルタナティブ教育であると理解され、オルタナティブ思想が国家イデオロギーとして採用されたがゆえ、そういう意味のオルタナティブスクールが国家教育の一環として設立されるもしくは、民間でも設立しやすくなる。しかし90年代に入るとヨーロッパにおけるそうした構想が資本主義経済の発展基盤の上に立つ幻想であると気がつかされるようになる。しかも原国家が国家統治の装置として作った学校がオートマティックに機能し続け、フーコーが指摘するように社会の学校化(規律化)*1をより促すことになる。つまり、現在のヨーロッパにおいて、本来であれば、こうした近代化された国家における国家教育の代案となるべきオルタナティブ教育が構想構築されなくてはいけないのだが筆者は未だ見いだせていない。

 このことは、総合としての弁証法をどう見るのかということに関連していると思われる。構造主義的国家の発展の歴史は、余白の少ない構造の上で変革をし次の段階へと進むという絶対的なイメージであった。しかし、現実は、変化をし続けている土台の上で、さらに有機的な構造が弁証法的に変化しているものではないかと思われるようになってきた。この現象は、もしかしたらマルクス自身も気がついていなかったかもしれないが、国家とか社会とかというスケールにおける弁証法的発展の時間スパンはもっと大きいものだったのかもしれないということを意味している。同時に国家や社会の変革は、多元的で重層構造であるということも意味している。話しをまとめると、弁証法的発展をしている社会に対して、その変化に合わせ、社会を変革させるための装置も相対的に弁証法的な発展をすることが求められる。

*1田中智志『教育学がわかる事典』日本実業出版社、2003年、177頁。



 変化をし続けることが要望されるオルタナティブ教育

 少し具体的に言えば、原国家たちが構築をしていた国家教育に対するオルタナティブ教育であるのなら、1対1で対応する固定的なものであればよかった。すなわちそれが、90年代以前からあったオルタナティブ教育ならびにその思想を実践しているオルタナティブスクールであった。しかし、近代国家が設定をした国家教育の装置たる学校や教育制度は、それ自体がオートマティックに変化発展していくように設定されてしまっている。つまり、管理者がいなくてもそれが存在することだけで社会の規律化や国家教育学校化が自動的に発展し巧妙化されていくようになっている。これらのことからわかるように近代国家の国家教育に対するオルタナティブ教育であるためには、自ら有機的に変化をし続けていく国家的教育に対応し、自らも有機的に変化をしていくことができるオルタナティブ教育を創造していかなければいけないことを意味している。現在、残念ながらヨーロッパにおいて、近代国家の国家教育に対応する理念と方法を持った新しいオルタナティブ教育の目立った創造提案はなされていない。21世紀になった現在においてもヨーロッパで、次世代オルタナティブ教育が提案なされていない原因は、容易に想像がつくが、そのことは、次の日本のオルタナティブ教育の現状を鑑みた上で、日本のオルタナティブ教育の可能性と合わせて論じたいと思う。こうした視点で日本のオルタナティブ教育の現状をみてみるとなかなか厳しい状況であることは直ぐにわかる。日本における海外からのオルタナティブ教育は、ヨーロッパオルタナティブ教育とアメリカオルタナティブ教育の2つの経路で紹介されたことは、もう既に述べた。前者は、きのくに子どもの村学園などが紹介し、後者は、不登校児等の避難場所として機能し形式的な紹介に止まっているフリースクールなどが伝えた。特に後者の手本となっているアメリカ型オルタナティブ教育自体が、イデオロギーとしての教育までは到達しておらず、教育手法としての実務的なレベルの段階である。さらに前者におけるヨーロッパ型オルタナティブ教育も残念なことに現在では、近代国家が構築した国家教育に対するオルタナティブ教育にはなっていない。本節では、前衛的に実践をされていたヨーロッパオルタナティブ教育が行詰まっている理由を検討し、日本における、ある意味日本型オルタナティブ教育の展望について検討を加えたい。


 機能しないオルタナティブ教育

 なぜ、ヨーロッパ型オルタナティブ教育は、近代国家が構築した国家教育のオルタナティブ教育として機能していないのか。それは、前述をしたように近年において、ヨーロッパにおける構造主義ならびにポスト構造主義的分析が進んだ結果、弁証法的発展を続けるヨーロッパ社会の構造が明らかになってきたことと関係をしているのではないだろうか。現体制における代案を考えたとき、今や帝国的資本主義の基盤の上に立った手法としてのオルタナティブだけでは、意味をなさない時代になってしまっている。つまり弁証法的発展を続ける資本主義社会に対して、その社会の代案であるオルタナティブ自身も弁証法的に発展をしなくてはいけない時代となってきている。自己膨張を続ける資本主義社会に対抗しうるオルタナティブ思想の構築が急がれているわけだ。その具現化の1つがオルタナティブ教育でなければいけない。ヨーロッパにおいてそれを実現することは可能なのであろうか。おそらく現状では、非常に難しいと言わざるをえない。それはなぜかと言えば、ヨーロッパ型資本主義社会を構成してきた要素の1つに理由がある。その要素は、国家の安全保障の問題、すなわち「平和観」の問題である。ヨーロッパにおける資本主義社会を支えてきた各国の安全保障政策は、まさに軍事力によって支えられてきた。端的に言えば、ヨーロッパ型資本主義社会の基盤は、軍事力に依存をしてきている。ヨーロッパにおける時代時代の正当性を持つ資本主義は、軍事力によって保たれた「平和」によって維持されてきたのである。つまり、ヨーロッパ型資本主義社会におけるオルタナティブな提案の基礎は、非軍事(非暴力)による「平和」をそのイデオロギーの基盤にしなくては成立しないものであると思われる。もし仮に21世紀のヨーロッパにおいて新たなオルタナティブ教育を提唱するのだとすれば、その教育理念の基盤に非軍事(非暴力)による平和主義を織り込まなければいけない。このようなヨーロッパ型資本主義社会に対するオルタナティブ教育は非軍事理念を持つことによって初めて、変化をし続けているヨーロッパ資本主義社会をも包括した総合性を持つ弁証法的オルタナティブとなる。
 さて、ヨーロッパ型オルタナティブ教育再生の一提案をしてみたが、現状における可能性はどうであろうか。現状ではおそらくこうした展開は無理であろう。証拠にヨーロッパの各国において、1つとして軍事力の放棄を銘打った憲法を持つ国はない。今後もそうした宣言をすると思われる国も存在しない。


 
2.日本のオルタナティブ教育の可能性

 日本のオルタナティブ教育の可能性はどうであろうか。今までの検討からも明白なように、ヨーロッパ型オルタナティブ教育、アメリカ型オルタナティブ教育であれ、オルタナティブ教育的手法を学ぶことはできてもオルタナティブ教育理念を学ぶことはできないということだ。今や世界の大部分を覆ってしまっている資本主義的社会、その段階は様々ではあるが、そうした社会体制の負の部分を生産し続けている国家教育に対するオルタナティブ教育の理念は、自ら創り出さなくはいけない時代なのだ。
 ここで改めてオルタナティブ教育の定義を指し示すとすれば、

 非軍事による「平和」理念を教育理念として、国家などに管理を受けた伝統的な教育を行うのではなく、独自の教育方法やプログラムによって、子どもや家庭のためにデザインされた教育

 としたい。
 
 となると21世紀のオルタナティブ教育の中心は世界のどこになるのかと言えば、今ある世界の国々の中で、唯一、憲法によって次のように、「日本国憲法 第二章 戦争の放棄 第九条 【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、明確に軍事力による平和の維持を否定している国より発信されるオルタナティブ教育こそ、世界のオルタナティブ教育になりうる可能性を持つものであると信じる。すなわち日本型オルタナティブ教育こそ21世紀の地球を担うオルタナティブ教育の新たな中心であり発信地である。


 
3.「オルタナティブ教育」と「教育のオルタナティブ」の違い

 筆者は近代国家における国家教育の代案としてのオルタナティブ教育を提案紹介してきた。そして、その普遍的教育理念の柱に非軍事による平和主義を据えるよう主張した。こうした光景を少し離れた所からもう一度見直すと「教育」と呼ばれている言葉自体の構造性が見え隠れしてしまう。すなわち、「教育」という言葉や営み、その物が近代における国家教育の賜であるということに気がつく。このことは、オルタナティブ教育を教育という視点で語れば、語ったとたんにそれは、国家教育の上に乗かった行為であるということになってしまう。つまり、国家教育と教育は、イコールで結ばれているものであるからだ。したがって、本来であれば、「教育」という言葉のオルタナティブとなる言葉自体を考えることもしなくてはいけない。

 さらにもう1つ大きな課題が発生をしている。それは、私たちの教育の目的の1つは、「自律的学習者」をめざすものであると言った。ここでは、既に「教育」という言葉を使っている時点で、前者の課題を背負っているわけだが、さらに大きな問題を含んでいる。それは、「自律的学習者」という点である。先ほど述べたように、近代国家が国家のシステムとして定義をした「教育」という定義の上で、子どもたちに自律的学習者になってもらうということは、まさに子どもたちの内なる規律化を進めるものになってしまう可能性を持つものである。社会の100%近くが規律化ないしは学校化している、例えば日本などにおいて、自律的な主体としての学習者を望んだら、ある意味で規律化した主体を持つ子どもを育てることになってしまう危険性を孕んでいる。

 前述した2つの課題は、相当に痛い所をついた課題である。近代・現代に育った私たちは、「教育」という言葉を聞くと、何の疑いもなく、国家教育が教育の全てであると思い込んでいる前提から話が始まってしまう。確かに、国家的な、特に明治以降の日本の近代教育は、ある一定の学びを民衆に保証をした。しかし、それは、来るべく市場経済社会参加へのパスポートであり、資本主義国家という近代国家を形成するための階層秩序化に大きく荷担をすることであった。そうしたある意味で、高度な「教育化」が進んだ日本をはじめとする近代国家において、その存在や機能の多くを肯定した上で、「教育」のことを論ずると、それがオルタナティブ教育であれ科学的な教育であれ、国家的な教育観の上に立った、つまり、市場経済主義的な価値観の上に立った教育になりかねない。そうした視点で見てみると後述をしたような、今日の教育の目標として、よく口にされる、「自律的な学習者」であるとか、「主体的な学習者」であるとされる表現も、よくよく考えなくてはいけない。
 「自律的」だとか「主体的」だとかということを現在の近代国家社会において考えるとき、学習者たちの「自律的」だとか「主体的」な基準はどこにあるのであろうか。単純に考え、学習者たちが「自律的」だとか「主体的」に考えたり、動いたりするときの基準となるものは、例えば、現代の日本であれば、「民主主義国家における慣習や法律」であると考えられる。学校やら警察やらの外的規制を課せられることなく、セルフコントロールで、自己管理をする場合、そうした社会的な秩序規制は、自動的に学習者の意識の中に再生産させられる。
 然るに問題は、そうした現代社会における「民主主義的な慣習や規制」は、正しいのであろうかという点である。1つの例を出そう。先進的な民主主義国家の1つで日本の手本となっている国、そうアメリカという国において、彼らは彼らの「平和」や「自由」や「正義」のためには軍事力の行使を否定しない。何もこのような例を出すまでもなく、日本における民主主義も別段、暴力の行使を否定はしていない。そのことは、日本の民主主義の先生であるヨーロッパにおける思想史を顧みても明白である。ヨーロッパ型民主主義も軍事力や法における暴力性を排除はしていない。

 ヨーロッパやアメリカや日本のような市場経済主義的な価値観とか考え方を全面的に肯定した上で、教育の変革、すなわちオルタナティブ教育を論じてもその改革性にはおのずと限界があり、1つ間違えれば、再コード化されて近代国家における国家教育へと回収されてしまうということだ。この状態を少し過激な例で表現すれば、単純に人間の精神性だけを高め、近代国家の教育制度などにとらわれずに高度な軍事的な知識や技術を教えるような教育があったとすれば、それも1つのオルタナティブ教育になりかねない。

 したがって、今私たちに必要なことは、「教育」を前提とした「オルタナティブ教育」を考えるのではなく、「教育」のオルタナティブを考えることこそが、重要な時代であることを理解することである。
 上記した視点を考慮に入れ、本論における筆者が言うところのオルタナティブ教育とは、厳密に言えば、最終的には「教育」のオルタナティブをさすこととなる。


 
4.「教育のオルタナティブ」としての平和学習

 「教育」のオルタナティブとは何かと考えたとき、論述のために少々先回りして、それが「学び」であるとするならば、現在の「教育」を受けることは、もしかしたら、学習者にとっては、「暴力」となりえるのではないだろうか。ゆえに、「学び」を構成する要素の1つとして、「平和」すなわち、「暴力」のことを考えることは欠かすことができない。
 そこで、「学び」と「暴力」との関係ならびに、「学び」の中における平和学習の意味・有効性を考えるにあたって、筆者が言うところの「暴力」の定義について整理をしたう上で、「学び」と「平和学習」の連関について述べたい。


 「平和」について

 まずはじめに、「平和」について少し考えてみたい。「学び」の学習テーマの1つを、「平和でない状態が発生するしくみ」であると考えるとするならば、もとの状態である平和な状態とは、どのような状態をさすのであろうか。思索に入る前に、分かり切ったことだが、「平和」とか「暴力」とかという概念は、人間におけるものであることを確認しておく。では、「人間にとって平和な状態」とは、一言で「人間にとっての平和な状態」といっても、その平和観は多様で、相対的なものになってしまう。それでは思索の範囲が広がってしまうので、ここでは、狭義なとらえ方になってしまうが、「平和な状態」とは、簡単に「戦争」でない状態としてみよう。しかし、このように簡単に「人間にとって平和な状態」を「戦争」のない状態であると説明しても、その「戦争」そのものの質が、近代戦争と前近代戦争ではだいぶ違う。ましてや、それらの戦争が時代時代の民衆に及ぼす意味も相当違う。つまり、「人間にとって平和な状態は?」という視点を「戦争」を絡めた平和観によって説明することはたいへん難しい。


 「暴力」について

 そこで、もう一方の視点である「平和な状態」を破壊する要素である「暴力」という視点から考えてみる。すると、この「暴力」というものに対しても、加害者としての「暴力」と被害者としての「暴力」という2つの顔を持つものであるということがよくわかる。特に、政治的な脈絡からみた場合、歴史の中で振るわれた暴力は、必ず「善い暴力」と「悪い暴力」の区分けがされている。その区別基準も「平和」同様相対的である。しかし、「暴力概念」の場合、「平和概念」とは違い、人類の発展という政治的脈絡の中においては、暗黙のうちに肯定された位置を優先的に確保されてきた。ゆえに、「暴力」概念を否定的に主張したテキストは少ない。こうした人間の歴史に絡む「暴力」という概念を考察するには、歴史における区分を必要とするのではないだろうか。したがって、本節ではどこの時代における「暴力」についての概念を検討するべきかを考えるために、前近代の暴力と近代の暴力の特徴を整理することから「暴力」ということについて考えてみたい。


 前近代における「暴力」

 そもそも人間という集団の中で発生をした暴力行為とは、どのようなことが発端であったのであろうか。一般的な言い方をすれば、そうした暴力行為の発端は、人間が本来持つ情動領域における欲望による直接的暴力であったに違いない。
 一言で前近代と言ってもどこまで時間を遡るかという問題がでてきてしまう。したがって、その区分線も1つのイメージとしては、技術的なものの有無によって線を引きたくなってしまう。例えば、産業革命前後というように。確かにそうした区分線も無視することはできない。最終的には、そうした基準に焦点をあてるにしても、現段階では、前述した人間の情動領域が優先していた時代と政治が優先された時代というような曖昧な区分で話しをすすめていきたい。
 人間の情動領域が優先されていた時代における暴力のあり方はどのようなものであったのだろうか。そうした性格が色濃く残されていた1つのモデルは、古代ギリシア時代におけるポリス(都市国家)のような、交易事業などを中心とした海洋型の共同態国家であったのではないか。こうした海洋型都市国家における「暴力」の行使のされ方は、その後に現れるようなローマ型の中央集権的国家が実行した「暴力」とは明らかに質が違うと思われる。彼らが実行した「暴力」は、帝国国家が行った植民などに関連する「暴力」ではなく、あくまでも自分たちの生活領域(生活糧領域)に侵犯をしてくる外敵を追い払うものであった。すなわち、原則的には、彼らの持つ暴力は、我が身の安全を守るために行使をされた拡大されない暴力であったということである。だからと言って、彼らが行使をした「暴力」が平和的であったのかというとそうではない。自分たちの生活領域に侵犯をしてきた敵に対しては、徹底的な暴力が実行され、敵を完全に殲滅するまで遂行された。つまり、彼らにとっての生活領域は、自分たちの身体の一部であり、情動領域であったわけである。そこに侵入をしてきた外敵を自分の体内に残しておくわけにはいかなかったのである。そういう意味においては、こうした暴力行為を簡単に肯定することはできないが、言ってみれば、前近代における「暴力」は、人間が生きるための暴力であったと言えるのかもしれない。


 近代における「暴力」

 ある意味で産業革命以降の「暴力」は、前述をしたような海洋型国家における「暴力」とは、まったく質が違う。特に、資本主義国家が確立されてから行使された暴力は、個人であれ集団であれ、そうした資本主義構造が深く関与している。ゆえに、近代における様々な暴力について考えるには、資本主義との関連を分析することは不可欠である。近代における代表的な暴力の1つが、第1次世界大戦・第2次世界大戦をはじめとする国家をあげての総力戦となった「戦争」であろう。こうした近代における最大の暴力である「戦争」についても、資本主義との連関の中で、その発生のしくみを明らかにしていかざるをえない。


 本節における「暴力」概念の視野

 これまで書いてきたように、「暴力」に関連をする学習リソースを制作するのであれば、近代における暴力である「近代戦争」を対象とした学習リソースづくりに特化をしてしまうという考え方もある。確かに、そうしたやり方も重要なことであると思われるし、筆者としてもいつかはそうした学習リソースを制作することも視野には入ってはいる。がしかし、逆の見方をすれば、「近代戦争」などだけに焦点を当てて、暴力の発生のしくみをとらえていった場合、資本主義構造によって引き起こされている暴力とは、質的に違う暴力であった前近代暴力をも同じ線上の暴力であるとみなしてしまい、そういった性格の暴力であるがゆえに、「人類の発展にとって暴力は必要なんだ」とか、「人間の本能として、暴力的な行動は否定できない」だとかいう言説に近代暴力を、回収されてしまう可能性が孕むと思われる。ゆえに一見をしたところでは、同じ「暴力」の1つであると見えてしまう「暴力」という事象をあえて、本節では前近代における暴力事象から考えてみることにした。


 「暴力」定義*2

 そこで、時代的、技術的な区分けをすることによって、その前後で、「暴力」の質が変化をするということを念頭に入れ、暫定的ではあるが、本論における「暴力」の定義を行いたい。


 受ける暴力と加える暴力

 ここでいう受ける暴力とは、民衆が受ける暴力のことをイメージしている。暴力としての質は違うが、民衆が受ける暴力は、大きく分けて2つある。1つは、自然などの脅威から受ける暴力である。台風だとか地震だとかがこれに相当する。そしてもう1つの暴力は、権力から受ける暴力、特に、民衆が集権制度の下部組織として位置づけられたときに、その階層の上部より受ける暴力をさす。そういった解釈においては、前近代における領主などから受ける暴力も、資本主義社会における上部権力から受ける暴力も民衆が受ける暴力としては、同じものであると考えるべきであろう。つまり、民衆の側からみた場合、その暴力の原因が、自然であれ、権力であれ、民衆の受ける暴力としては同質のものであると見るべきである。ゆえに、受ける暴力とは、「民衆の生活を阻害する力」と言えるのではないだろうか。
 次に、加える暴力ということについて考えてみたい。これは民衆が加える暴力のことである。一言で言えば、生きるための暴力などという言い方ができるかもしれない。しかし、時代的な区分を想定してもう少し詳しくみてみると、前近代において民衆が行使をした暴力の多くは、情動領域における欲望によって引き起こされたものであることが分かる。それに対して、近代以降、特に資本主義体制が確立されてからの社会においては、ある意味では、情動領域の1つの欲望であるともみることはできるが、その欲望は、貨幣を得るための欲望であると集約することができるのではないだろうか。
 これらの2つの暴力が行使されるときの理由は、情動領域の欲望によって引き起こされる暴力の場合は、民衆の生活が何らかの力によって侵害されたとき、自分たちの生活を保全するために引き起こされる。一方、貨幣に対する欲望によって民衆が暴力を振るう場合は、資本主義構造における上部権力によって、民衆の情動的欲望が貨幣という欲望へとすり替えられた場合に引き起こされる。こういった2つの性格の総体としての加える暴力とは、「欲望を達成するために行使される力」ということになる。


 本論における「暴力」定義

 今まで述べてきたことからも分かるように、私たちが想起する暴力の多くが、社会の権力構造などから発生する上部から行使される暴力だけを想定しがちである。確かに、そうした上部構造から発生をしてくる暴力は、周到かつ強力であり、民衆の力によってその暴力を払いのけることは、相当に難しい。しかし、実際の暴力は、何もそうした上部からの暴力ばかりではない。民衆の側からの暴力も確かに存在をしている。したがって、単純に権力の側からの暴力は悪くて、民衆の側からの暴力は善いとは言い切ることはできない。そういった実際の中、筆者は、現段階において暴力定義を固定化しようとは考えていない。今後、十分に変化をすることは考えられるが、先にも書いたように現段階において、考察をすすめる上での筆者なりの暴力定義を仮説的に提案をしておくことにする。

「暴力」とは、民衆の生活を阻害する力であると同時に、欲望を達成するために行使される力である。


 筆者が定義を試みた暴力定義は、「教育」のオルタナティブである「学び」と平和学習の関連を述べるにあたって、非常に有効な定義である。上記の定義をもとにして、「教育」のオルタナティブである「学び」における「平和学習」の意味を論ずるとすれば、前述したように「教育」のオルタナティブは、非軍事でなければいけない。非軍事であるためには、「平和を破壊するしくみ」、すなわち「暴力が発生するしくみ」を知らなくてはいけない。つまり、「学び」の中において「暴力が発生するしくみ」を理解する機会を意識的に作る必要がある。
 同時に、本節のはじめにも書いたが、「教育」、いわゆる国家教育が、市場経済主義社会の欲望を民衆の意識に潜在化させ、国家の欲望を達成させるためのもであるとすれば、そうした目的の「教育」を民衆に押しつける行為は、まさに上述した定義の「暴力」そのものである。
 ゆえに、「教育」のオルタナティブを目指す以上は、その学びの中に「平和学習」を入れることは不可避である。

*2「人間という非常に複雑な存在を構成する多くの活動がある。精神的活動のうち感情、知覚、理性については哲学的考察が積み重ねられてきた。身体的活動については、生産と労働の社会科学的研究が膨大に蓄積されてきた。人間関係の面では、言語活動、社会組織、政治権力などの研究史は長い。ところが誰もが知りかつ実行する暴力的行為、人類史の前景をほとんど占めている暴力的現実についての理論的考察はほとんどない」今村仁司編『現代思想を読む事典』講談社、1988年、564頁。



 
5.「教育のオルタナティブ」としての平和学習リソース「沖縄」の価値

 「教育のオルタナティブ」の中に入れる平和学習のテーマとして筆者は、「平和を破壊するしくみ」「暴力の発生するしくみ」を理解するための学びを構想している。その学びの学習リソースとして筆者がイメージをしているのは、今までの話しからも明らかなように、鎌倉・風の学園の平和総合学習として実施をされているフィールドワークプログラムの各地である「沖縄」「アウシュビッツ(オシフェンチム)」「ベトナム」を材料としたものである。本節では、その最初の地である「沖縄」を想定した構想を紹介しておく。


 沖縄という学習フィールドを学習リソースとして選んだ理由

 もう既に沖縄という地を「平和学習」の地として、自らがエクスポージャーとして20年近く関わってきたという経緯も無視はできないが、そもそも沖縄という地を平和の構造を学ぶための地として選定した理由は次の通りであった。


 「沖縄は、非暴力事象・暴力事象噴出の破砕帯である」

 人間社会の歴史は、まさに地層的である。人間社会における歴史を地層と見立てて説明をする。(地層はまるで、ポストの中に積み重なる手紙のようなもの)
 はじめに地層について説明をする。地層は、その地層の上部と下部の結節面において切断をされた独立した次元である。A層には、その生成時間における環境の反映が記憶されており、B層にはB層ならではの記憶が同様に残されている。したがって、A層であるとかB層であるとかという層内においては、連続性を見ることができるが、A層とB層との連関においては、連続性を見ることはできない。つまり、地層は、各層毎に独立した非連続なものが、連続している圏であると言える。

 次に地層形状の変化について話をする。非連続の連続体である地層も長い時間をかけた結果、A層・B層・C層という地層全体にかかる応力(加わる力)によって統一的な変形を受ける可能性がある。応力には2つの可能性がある。1つは、地層が形成された後にかけられたもの。そして、もう1つは、あるスケールの年代だけに、各地層レベルに対して継続的に共通してかけられたもの。この2つの応力の関係は、その応力の質によって、調和的であったり、反発的であったりする。
 ある地層圏において何らかのある一定の応力がかかるとその地層群は、断裁したり褶曲したりする。このように地層が断裁され断層・褶曲地帯になっている所を破砕帯という。破砕帯では、そのクラック(ひび割れ)づたいに、応力の組成情報を多く含むマグマや地下水が貫入(差し挟まる)しその性格の記録を残す。応力の反映が記憶されている場所、それが破砕帯なのである。
 沖縄という場所に積み重なった時代という地層には、少なからず国家という形態が出現した以降、「暴力」と「非暴力」という2つの応力がかけられ続けている。結果、沖縄という場所には、たくさんの断層や貫入痕、それも現在をも活動し続けている活断層であったり活火山であったりする応力の軌跡が残されることとなった。ゆえに、そうした2つの応力の構造と性質を知るためにも、沖縄の各地層に残る断層や貫入の性質や組成を分析することは有効である。破砕帯におけるもう一つの面を付け加えるとすれば、破砕帯は、地層が絶えず変化をしている最先端の切り羽であるということ、生物学的な表現を使えば、「成長点」である。つまり、社会と歴史の成長点である沖縄という地を思索するということは、人間社会の生成過程を検討するということにつながる。


 「平和が破壊されるしくみ」「暴力が発生するしくみ」を探るために利用した方法

 沖縄の地に残された「非暴力」「暴力」応力の残存からその構造を探るためには、沖縄にある各地層の断層や貫入の性質や組成を調べる必要がある。深く掘り、なおかつ組成を分析するための方法として採用したのが、原子レベルの粒々に着目して分析を進める以下の方法であった。


「分析方法(学習方法)」(学びの螺旋・学びの微分方程式〈「分析」から「総合」へ〉)
 @直観力養成→A仮説形成力養成→B討論力養成→C実証力養成→D論理力養成→@へ
上記の方法によって、沖縄の各時代(各層)に残されている応力場痕を「沖縄とヤマト・中国などとの同化と交流のゆらぎ*3」という視点に着目して時系列に沿って体系的に分析していった。結果、沖縄の各層に残る「非暴力」と「暴力」の応力の共通的痕跡が明らかになっていった。

*3ここで言う「ゆらぎ」とは、「同化」を国家における政治的な政策とし、「交流」を人間レベルの「友情」であったり「好奇心」としたとき、両者に共通して関係のある要素、例えば「宗教」などのような両義的な性格を持った要素を、その時々の状況により都合よく「同化」の材料として使ったり、「交流」の材料として使ったりするような振り子のような状態をさす。



 沖縄において「暴力」が発生する抽象概念

 沖縄における「非暴力」と「暴力」の痕跡を分析し学習リソース化したことによって、解ってきた「平和を破壊するしくみ」ならびに「暴力発生のしくみ」とは、次の通りである。

 「同化と交流のゆらぎが、沖縄と日本との関係をつくってきた。
 その関係性が沖縄(琉球)と日本(国家・民族)を結びつけている。
 そこに共同態(沖縄)を破壊する様々な暴力が発生する」
      (本論では、「共同態」と「共同体*4」を使い分けている)


 分析の結果、歴史の破砕帯である沖縄の地には、暴力と非暴力という2つの応力場が存在していることは解ってきた。本論における考察では、沖縄に存在をする非暴力応力によって稼働している平和生成機械である平和機械の構造については、紙面の関係上言及していない。したがって、上記の見解は「暴力発生構造」における見解である。若干説明を加える。

 沖縄のみならずであるが、暴力発生の要因の1つとして経済的な要素をはずすことはできない。ある意味で、自主独立状態にあった地方共同態(縁戚集団)において、蓄積をされた縁戚資本の余剰分は、地方共同態のために蓄積され拠出されてきた。そうした共同態に蓄積された縁戚余剰資本を国家の余剰資本へと吸収し、かつ自動的に国家に吸い上げるようにするために、国家の為政者たちは、そうした共同態を解体させ中央集権のヒエラルヒーの末端機能体とするために共同体へと改組していく。その際、為政者たちは、同じ暴力であることに違いはないのだが、アメとむちをたくみに使い分ける。「見える暴力」、「見えない暴力」と言ってもよいかもしれない。しかし、どちらにしてもそうした「暴力」を発動させる原動力は、国家による「貨幣」獲得の欲望*5だけではない。地方共同体の中に芽生えた民衆の「貨幣」に対する欲望をも「暴力」発動のためのエネルギーとして活用する。

*4筆者における論考では、「共同態」と「共同体」を意識的に使い分けている。「共同態」は、一族郎党を中心とした人間集団が自主独立の状態によって維持されている状態をしめす。それに対して「共同体」は、中央国家におけるヒエラルヒーの下部組織として組み込まれた状態の地方集団を言う。参考のために歴史学的・経済学的概念としての「共同体」概念を紹介しておく、「共同体とは、土地(自然諸条件)が富の基盤として未だ決定的な条件をなしているという歴史段階において、その土地の占取(所有・利用など)のありかたを軸に形成され規制される人間関係の総体を意味している」今村仁司編『現代思想を読む事典』講談社、1988年、159頁。
*5本論で言う「欲望」とは、何も「貨幣」的な「欲望」だけをさすわけではない。「平和」でありたいと希望する気持ちや「学び」たいと希望する気持ちなども「欲望」の1つであると言える。ある意味で、人間にとっての情動的な要求をさす。



 その構造をモデルを使って説明すれば、まるで2重構造の風船のようなものである。2重構造の風船は、外側の風船と内側の風船の2つからできている。外側の風船は、硬質で既にその構造を自力で維持をしている。つまり、外側の風船は、国家(近代以降は資本主義国家)が、その国家的な目標としてプランを立て設定をした目標領土境界*6である。ただし、重要なのは、その境界は国家プランによって設定をされたものであり実在として確定されたものではないということである。このプランを立てた後、国家は地方共同体の民衆たちに対して、「教育」や「文化」「近代化」などを通じて、「貨幣」への欲望を増幅させる。民衆たちの「貨幣」への欲望のエネルギーが増殖していくことを確認し、国家はそのエネルギーを内側の風船へと注入していく、民衆の「貨幣」への欲望エネルギーがより活性化するように絶えず焚き付けることを国家は決して忘れない。ドンドンと大きくなった内側の風船は、国家がプランによって設定をした外側の風船に肉薄するくらいまで成長する。それを見た国家は、プラン達成を機として、内側の風船を除去しプランによって設定をした外側の風船の境界を確定し、新しくできた内側の領域を国家として再規律化し新領土として定着させる。内側の風船を除去する時に「暴力*7」は発生をする。その「暴力」の種類は、「軍事的」であったり、「政治的」であったりと様々である。
 つまり、社会学的な言い方をするのであれば、国家が民衆のエネルギーなどを利用し、脱領土化*8をし、「暴力」をもって「再領土化*9」し、新領土を「再コード化*10」するということになる。また、実際のこうした構造は、マクロからミクロまでの様々な次元で並立的に発生をする。さらに、こうした構造はある意味で普遍で、「右」も「左」も「資本主義」も「社会主義」も「独裁主義」も「民主主義」もない。「暴力」の発生ということにおいては同様の構造である。

 以上が「沖縄」をテーマとした平和学習リソース制作の構想である。「沖縄」を使った平和学習リソースの目的は、「平和を破壊するしくみ」・「暴力の発生のしくみ」を学ぶものではあるが、この学習リソースの内在的目的はもう1つある。それは、この学習リソースを使って学ぶこと自体が、「教育」のオルタナティブ、すなわち「学ぶことを学ぶ」、「学び」の学習機械となっている点である。それは、ある意味で、「学びたい」という人間がそもそも持っている情念的欲望、「学びへの欲望」呼び覚ます(引き出す)ものであると思われる。さらに、この学習機械は、そうした「学びへの欲望」をエネルギーにして、自動的に新たな学習機械を増殖させ広く「学び」を復興させるものなのである。

*6目標領土境界とは、単純に拡張新市場という意味もあれば、利潤目標やGDP目標などであったりする。
*7「暴力」には、様々な形が存在するが、本論では「平和」な状態を破壊する外的な
力とする。したがって、例えば沖縄地域に発生をした代表的な「暴力」としては、15年戦争によって引き起こされた「沖縄戦」や「アメリカ占領」などをさすことになる。
*8ここで言う「脱領土化」とは、現状に見合わなくなった既存の制度などを新たなものに変えようとすること。例えば、国民の中に発生をした年金制度に対する不安を梃子にして、年金制度を新たなものに変更をするという行為。ただし、ここで注意が必要なのは、「脱領土化」という行為そのものまでは「良い」とか「悪い」とかという意味性はない。したがって、様々な領域・物・階層などにおいて、「脱領土化」は発生しうる。
*9「脱領土化」によって、一度フリーな状態へとリセットした後、新たな拡張領域を構築することを「再領土化」という。この時に多くの場合「暴力」が発生する。前述した年金制度を例にして言えば、新しい年金制度の財源は、「教育」や「福祉」の予算を削減して充当させるなどと言った政策をさす。つまり、新たな年金制度を確立するという理由で、その財源確保の行為が弱者の生きる権利を奪うという結果になるのだとすれば、彼らに対して、「暴力」が振るわれたと言える。資本主義帝国による「侵略」も再領土化の1つである。
*10「再コード化」とは、新しく領土化された領域において、新しい規律を布き、階層秩序化することを言う。資本主義体制国家の場合は、新しく作られる規律の前提は、資本主義社会の発展、すなわち経済的発展のためであることが絶対条件である。



 6.「学び」の可能性について

 では最後に、本論における論述の流れを今一度概観した上で、まとめに換えて、「学び」の可能性と今後の課題について若干述べ本論を終わりにしたい。
 
 第1章では、「学び」の「教育」への変化を社会の機械化という点から解説を試みた。そして、第2章では、近・現代においてオルタナティブ教育と呼ばれているものの系譜を紹介した。そして、第3章では、現代において日本のオルタナティブ教育の先駆である筆者の実践を紹介した。第4章では、そうした筆者の経験などをもとにして、21世紀における現代のオルタナティブ教育の定義化を試みた。最後の第5章では、筆者が想起するオルタナティブ教育とは実は「教育」のオルタナティブを目指すことであったことを明らかにした。

 第5章までの論点を整理すると、そもそも、人間の驚きや、自然に対する畏敬の念より発生をしたはずの「学び」という行為は、人間社会の機械化(形而上学化・科学化)にともない「教育化」されていく、完全に現在の形に近い「教育」というものに「学び」が変化をし出したのは、欧米における産業革命以降であった。それまでは、まだ、相当「学び」と「教育」が混在している時代ではあったが、産業革命以降、「学び」は、国家の人材や兵隊を輩出するための国家的装置、すなわち「教育」となっていく。市場経済主義社会の規格にあたった規律化された人間を、絶え間なく作りだす機械となったのだ。
 人間は、2度の世界大戦を経験し、そうした社会の強度な教育化傾向を反省するようになる。結果、「教育」の本家である欧米を中心として、国家の教育に影響されない教育を目指した「新教育(自由教育)」の試みがなされるようになる。
 1960年代以降となると、戦後の順調な経済発展を経験をし、欧州型資本主義に自信を持ったヨーロッパ諸国は、経済発展唯一主義の資本主義国家からの脱皮をめざし、いわゆる福祉国家の創設を目指すようになる。こうした資本主義国家から福祉国家への政治的変化を称してオルタナティブと呼んだ。こうした政治的な動きに呼応して、国家的な教育の代案として提示された市民主義的な教育のことをオルタナティブ教育と呼ぶようになった。こうした欧米でのオルタナティブ教育が日本に紹介され出すのが1980年代であった。当初、日本に紹介をされたオルタナティブ教育は、アメリカより紹介をされたプラグマティズム的なものが主流で、ヨーロッパ型のオルタナティブ教育はその理念性が高かったがゆえに学術的なレベルでの紹介が中心であった。
 そうした流れの中で、日本で初めて本格的なオルタナティブ教育を模索した実践を行ったのが、1996年より筆者が運営をしている「鎌倉・風の学園高校」であった。ある意味で、日本型のオルタナティブ教育を模索していた筆者は、欧米型のオルタナティブ教育の限界性を知ると同時に本当の意味でのオルタナティブ教育とは、「教育」のオルタナティブでなければいけないことを理解する。
 欧米型オルタナティブ教育の限界性の1つは、非軍事ではないことであった。それに対して日本型のオルタナティブ教育は、非軍事であることが前提であるがゆえに、現社会におけるオルタナティブとしての可能性を見ることができる。さらに、非軍事であるがゆえに、日本型のオルタナティブ教育では、「学び」を「教育」に凋落させた原因の1つである「暴力」の問題を教育理念として扱えることを示唆した。ゆえに、日本のオルタナティブ教育実践において使える学習リソースとして、「沖縄」を素材とした平和学習リソースの構想を紹介した。

 では、本論におけるまとめを書く。
 まず1つは、もう既に述べたことではあるが、本当の意味でのオルタナティブ教育とは、「オルタナティブ教育ではなく、教育のオルタナティブ」であるべきなのではないかということ。そしてもう1つは、真のオルタナティブ教育は、非軍事の理念の上で展開されなくてはいけないこと。ゆえに、21世紀のオルタナティブ教育の大きな可能性を持つのが、日本のオルタナティブ教育であるということ。
 そして最後に、「『教育』のオルタナティブとは、『学び』のことをさす」ということである。

 今後の課題についても若干書き加えておく。
 本論において筆者は、そもそも高みにあった「学び」という行為が、社会の機械化や形而上学の発展などによって凋落をし、教育化していったと言い。だから、「教育」の克服というか、「学び」の復興というか、救済というかをしたらよいと主張した。しかしながら、現代を生きる私たちは、実際、機械化社会の発展の中で、多くの恩恵を受けている。したがって、単純に「教育」を否定し、「学び」中心主義に全てを刷新してよいものなのだろうかという懸念が残る。ある意味で、「学び」と「教育」が混在をしていた時代が古代ギリシア時代であったとするならば、そうした状態に近づけることが目標なのかもしれない。つまり、「教育」が悪くて、「学び」がよいというような二律背反的な主張ではないということである。そうだとすれば、どのような形で、また、どういった比重で両者のバランスをとることが学習者たちにとってよいのか制作的実践を通して検証する必要があると思われる。つまり、これが今後の課題の1つであろう。
 あとは、もう既に多くの方が気がついていると思うが、こうした「教育」の課題は、「存在」の問題とも深く相関している。となると、当然、「学ぶ」ことは創造することであるという見方をすることになり、そこには、「自然」や「芸術」との「生起するもの」としての相関も検討しなくてはいけなくなる。ここら辺の射程は、現段階における筆者の実力からすると相当手に余るが、今後の課題として肝に銘じ、僅かずつでもにじり寄りたいと思っている。


 おわりに
 
 昨今、「オルタナティブ」という言葉を様々な地域や分野で耳にする。ゆえに筆者はもう既に「オルタナティブ」という言葉は十分に社会的な認知を得た言葉であると思っていた。

 殊に1980年代前半から教育という分野において活動をしていた筆者は、当時既に、アメリカにおけるフリースクール運動をしている友人たちの口から何度もオルタナティブという言葉を聞かされており、彼らの説明により、オルタナティブの発祥の地はヨーロッパであると理解をしていた。ゆえにおのずと「オルタナティブ」とは、ヨーロッパにおける思想的な考え方の1つであると理解をしていた。
 そうしたヨーロッパにおける「オルタナティブ」という思想・哲学としての考え方の位置付けを再確認をしたのが、1990年代中盤より何度か訪れることになったドイツでの経験であった。ドイツ周辺で試みられていた教育的・環境的・平和的な実践の多くの活動哲学となっているものが「オルタナティブ」という考え方であるということを知ることとなる。つまり、「オルタナティブ」という考えは、筆者が考えていた以上に教育という分野のみならず、広く社会の基盤構造に影響を与えているものであったのだ。
 こうした経験をもとにし、日本で活動を続けていく中、急速に日本においても「オルタナティブ」という言葉が広がりだしていった。当然、欧米、特にヨーロッパにおけるオルタナティブ思想をもととした言葉の広がりであると思っていたところ、実際は、記号的な利用でしかないことに気がつかされるようになる。
 そこで、せめて教育の分野においてだけでも、「オルタナティブ」という言葉の定義や意味をきちんと考えてみようと思い、本論を書くことを思いたった。当初の構想としては、先にも書いたが、日本のいろいろな辞書においても定義をされていない「オルタナティブ教育」という言葉の定義ぐらいをできればよいと思っていたが、結果として、社会を下支えする第1哲学と相関する意味での「オルタナティブ」という考え方まで触れることとなってしまった。

 そうした思索の流れの結果として、「教育のオルタナティブは学びである(学びの救済)」こと、そして「教育のオルタナティブである学びを提唱できる国の1つが日本である」こと、さらに「その学びの中心となれる可能性があるのが平和学習である」ことなどを提起することとなった。

 ある意味で、日本における21世紀の変革の方法の1つを提言することになったわけだが、そうした提言が実際として有効であるのか、また正しい方向を指さしているのかを見極めるには、これまでの実践ではあまりにも拙い。本論における主張の正当性をより高めるためにも、今まで同様の制作的実践(理論と実践の一致)の継続を今後も努力していくつもりである。

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160.那覇市企画部市史編集室『那覇市史第1巻5−8』那覇市 1976年
161.那覇市企画部市史編集室『那覇市史第1巻4』那覇市 1986年
162.波平 勇夫『近代初期南島の地主層 近代への移行期研究』第一書房 1999年
163.西川 亮『古代ギリシヤの原子論』渓水社 1992年
164.西谷 修・鵜飼 哲・宇野 邦一『アメリカ・宗教・戦争』せりか書房 2003年
165.ニーチェ『善悪の彼岸(訳 木場 深定)』岩波書店 1970年
166.ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(訳 氷上 英廣)』岩波書店 1967年
167.ニーチェ『道徳の系譜(訳 木場 深定)』岩波書店 1940年
168.日本イモ類研究会HP http://www.jrt.gr.jp/
169.日本経済新聞社編『日本の財閥』日本経済新聞社 1976年
170.日本古文書学会編『日本古文書学論集 中世』吉川弘文館 1986年
171.日本食品標準成分表
172.ハイデガー『存在と時間(訳 桑木 務)』岩波書店 1961年
173.ハイデガー『存在と時間(訳 細谷 貞雄)』筑摩書房 1994年
174.八田 幸雄『神々と仏の世界』平河出出版 1991年
175.林 竹二『森有礼 悲劇への序章』筑摩書房 1986年
176.原口 泉他『鹿児島県の歴史』山川出版社 1999年
177.原口 虎雄『鹿児島県の歴史』山川出版社 1980年
178.原田 禹雄『冊封史録からみた琉球』榕樹書林 2000年
179.ハンナ・アーレント『人間の条件(訳 志水 速雄)』筑摩書房 1994年
180.ハンナ・アーレント「暴力について」『共和国の危機(訳山田 正行)』みすず書房 2000年
181.比嘉 春朝『比嘉春朝全集 第1・2巻』沖縄タイムス社 1978年
182.比嘉 武吉『農務帳を読む』緑林堂書店 1997年
183.比嘉 政夫『沖縄からアジアが見える』岩波書店 1999年
184.比嘉 実『古琉球の思想』沖縄タイムス社 1991年
185.東野 治之『貨幣の日本史』朝日新聞社 1997年
186.比屋根 照夫『近代沖縄の精神史』社会評論社 1996年
187.比屋根 照夫『自由民権思想と沖縄』研文出版 1982年
188.平野 宗浄・加藤 正俊『栄西禅師と臨済宗(日本仏教宗史論集第7巻)』吉川弘文館 1985年
189.福田 アジオ『民族学者 柳田国男』御茶ノ水書房 2000年
190.福原 泰平『現代思想の冒険者たち第13巻 ラカン 鏡像段階』講談社 1998年
191.藤沢 健一『近代沖縄教育史の視角』社会評論社 2000年
192.藤村 通『明治財政確立過程の研究』中央大学出版 1968年
193.ヘーゲル『大論理学(訳 寺沢 恒信)』以文社 1977年
194.邊土名 朝有『琉球の朝貢貿易』校倉書房 1998年
195.弁蓮社袋中『琉球神道記・琉球往来』編者 横山 重 角川書店 1970年
196.外間 守善『おもろ語辞書 沖縄の古辞書混効験集』角川書店 1972年
197.外間 守善『おもろさうし』岩波書店 1985年
198.外間 守善『南島の神歌 おもろさうし』中公文庫 1994年
199.本庄 栄治郎『本庄栄治郎著作集 日本社会史・日本人口史』清文堂出版 1972年
200.真栄田 義見『蔡温 伝記と思想』月刊沖縄社 1976年
201.真栄平 房昭「論文 琉球における家臣団編成と貿易構造」1996年
202.眞境名 安興『沖縄一千年史』栄光出版(琉球新報社編) 1923年
203.増田 真一『沖縄の星 悲劇の英雄 阿麻和利加那』リビリオ出版 1985年
204.松下 志朗『近世奄美の支配と社会』第一書房 1983年
205.松島 泰勝『沖縄島嶼経済史』藤原書店 2002年
206.マルクス=エンゲルス『マルクス=エンゲルス全集第23巻 資本論(監修 大内 兵衛 細川 嘉六)』大月書店 1965年
207.マルクス=エンゲルス『マルクス=エンゲルス全集第24巻 資本論(監修 大内 兵衛 細川 嘉六)』大月書店 1965年
208.マルクス=エンゲルス『マルクス=エンゲルス全集第25巻 資本論(監修 大内 兵衛 細川 嘉六)』大月書店 1965年
209.丸山 真男『日本の思想』岩波書店 1961年
210.丸山 真男『日本のナショナリズム』河出書房 1953年
211.ミシェル・フーコー『監獄の誕生・監視と処罰(訳 田村 俶)』新潮社 1977年
212.ミシェル・フーコー『言葉と物 人文科学の考古学(訳 渡辺 一民 佐々木 明)』新潮社 1974年
213.三島 憲一『現代思想の冒険者たち第9巻 ベンヤミン 破壊・収集・記憶』講談社 1998年
214.水上 勉『禅とは何か』新潮社 1988年
215.港道 隆『現代思想の冒険者たち第16巻 レヴィナス 法−外な思想』講談社 1997年
216.宮田 俊彦『琉明・琉清交渉史の研究』文献出版 1996年
217.宮城 英昌『沖縄のノロの研究』吉川弘文館 1979年
218.村井 章介『海から見た戦国日本史 列島から世界史へ』筑摩書房 1997年
219.村井 章介『15世紀〜17世紀の日琉関係と五山僧』吉川弘文館 1993年
220.村井 章介 校注『老松堂日本行録』岩波書店 1987年
221.村山 修『習合思想史論考』塙書房 1987年
222.毛利 敏彦『台湾出兵』中央公論社 1996年
223.毛利 敏彦『明治六年政変』中央公論社 1979年
224.森 毅『異説数学者列伝』蒼樹書房 1973年
225.森川 英正『日本財閥史』教育社 1978年
226.八木 哲浩 石田 善人『兵庫県の歴史』山川出版社 1971年
227.柳下 換『脱国家教育』蕗薹書房 2001年
228.柳田 国男『柳田国男全集1(海上の道・海南小記・島の人生)』筑摩書房 1990年
229.柳田 国男『柳田国男全集11(妹の力・巫女考)』筑摩書房 1990年
230.山住 正己『日本教育小史』岩波書店 1987年
231.山之内 靖『マックス・ヴェーバー入門』岩波書店 1997年
232.山本 幸司『頼朝の天下草創(日本の歴史第9巻)』講談社 2001年
233.山本 弘文『南島経済史の研究』法政大学出版 1999年
234.山本 弘文「論文 近世久米島の土地所有と地代」弘文堂 1982年
235.山本 弘文「論文 八重山の村と農耕18世紀〜19世紀後半」相模書房 2000年
236.横山 重編者『琉球神道記 弁蓮社袋中集』角川書店 1970年
237.横山 學『琉球国使節渡来の研究』吉川弘文館 1987年
238.義江 彰夫『神仏習合』岩波書店 1987年
239.吉田 孝『古代国家の歩み(大系日本の歴史第3巻)』小学館 1988年
240.吉田 直人『図説 琉球の伝統工芸』河出書房新社 2002年
241.ヨハン・ガルトゥング『構造的暴力と平和(訳高柳 先男、塩屋 保、酒井 由美子)』中央大学出版 1991年
242.歴史学研究会編『日本史年表』岩波書店 2001年
243.琉球新報社編『新琉球史 近世編上下』琉球新報社 1989年
244.琉球政府『沖縄県史第3巻』沖縄県 1972年
245.琉球政府『沖縄県史第4巻』沖縄県 1989年
246.琉球政府『沖縄県史第5巻』沖縄県 1975年
247.琉球政府『沖縄県史第8巻』沖縄県 1971年
248.琉球政府『沖縄県史第9巻』沖縄県 1971年
249.琉球政府『沖縄県史第16巻』沖縄県 1967年
250.琉球政府『沖縄県史第17巻』沖縄県 1968年
251.琉球政府『沖縄県史第18巻』沖縄県 1966年
252.琉球政府『沖縄県史第19巻』沖縄県 1969年
253.琉球政府『沖縄県史第20巻』沖縄県 1967年
254.琉球政府『沖縄県史第21巻』沖縄県 1968年
255.脇田 修『秀吉の経済感覚「経済を武器とした天下人」』中公出版 1991年
256.和多 秀乗・高木 、元『弘法大師と真言宗(日本仏教史論集第4巻)』
    吉川弘文館 1984年
257.渡辺 公三『現代思想の冒険者たち第20巻 レヴィー=ストロース 構造』講談社 1996年