独立と自由獲得の闘い
惟我大越之国 実為文献之邦
山川之封域既殊 南北之風俗亦異
自趙丁李陳之肇造我国 与漢唐宋元而各帝一方
雖彊弱時有不同 而豪傑世末嘗之
                   阮薦



戦争は、5年、10年、20年、あるいはそれ以上にながびくかもしれない。
ハノイ、ハイフォン、その他の都市、企業が破壊されるかもしれない。
しかし、ベトナム人民はおそれない。
独立と自由ほど尊いものはない。
完全な勝利の日が来たら、
わが人民は、わが国土を、
よりりっぱに美しく再建するだろう
1966年7月17日 ホー・チ・ミン

1944年9月、
ホー・チ・ミン(グエン・アイ・クォック)氏は、
33年ぶりに祖国の土を踏む。

19世紀中盤から、祖国ベトナムを植民地化しているフランス、
そして、その後の占領国である日本から祖国を取り戻す機会は、
現在の占領国である日本が敗戦するときであると予言する。

祖国にもどったホー・チ・ミン氏は、さっそく行動を開始する。
ベトナム人民軍の前身であるベトナム解放軍宣伝部隊を結成。
独立後の国際承認を得るための根回し。
北の地域を中心に解放区を成立させていく。

こうして来るべき日に備え、チャンスを伺うインドシナ共産党。



日本の降伏の報を聞くと1945年8月13日から15日にかけ、
ベトナム北部のタンチャオに集まった共産党全国会議は、
全国的な蜂起の発動を決定する。

ハノイをはじめとする全国の各都市の市民がこの発動によくこたえ、
独立運動が全国的なうねりとなる。
そうした中、各階層から選ばれた閣僚たちを中心とした
ベトナム民主共和国の独立宣言が公布される。
1945年9月2日のことである。

ここで、世界がこのベトナム民主共和国の独立を承認していれば、
この後の大きい犠牲は払うことはなかったもしれない。

第2次世界大戦の終了と同時に始まっていた
東西の冷戦に既に巻き込まれていっていたベトナムであった。



2つの陣営の利益の綱引きの上で、
揺れ動かされながら
民族として自立を勝ち取るための闘いが始まるのであった。


参考文献等
ベトナムの世界史 古田 元夫著(東京大学出版会)

ホーチミン(サイゴン)の街で出会った小物たち



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