琉球・食の歴史−1「泡盛

沖縄北部の名護に泡盛の故郷を訪ねました。

● 泡盛と琉球文化
琉球に3つの勢力が生まれたころ、中国では元に変わり明が建国されていた。


1372年、明からの使者・楊載が3つの勢力のうちの1つである中山を訪れ、朝貢をうながした。中山の王であった察度は、これにこたえ、弟・泰記を派遣し、冊封を受けた。つづいて、1380年には、山南(南山)の承察度、1383年には、山北(北山)の怕尼芝らが入貢し、3国とも明の冊封体制のもとに入った。

朝貢とは、貢物を明におさめて服従を誓うことで、冊封とは、皇帝からその国の王であることを承認してもらうことだった。朝貢し冊封を受けると明との貿易を許されるだけでなく、多くの返礼品も与えられたので、三山とも競って進貢し、大陸の様々な文物を取り入れたそうだ。

琉球はその後、中山、最後の王であった尚泰までの約500年間にわたり、中国に進貢することになる。琉球からの貢物は、馬・硫黄・芭蕉布・貝製品などが主で、明から鉄器や陶磁器などが返礼品として贈られた。

三山のうち中山は、数多くの進貢をすると同時に留学生を送り、中国の学問、政治、社会制度などを学ばせた。また中国からは、三十六姓と呼ばれる中国人たちを住まわせ帰化させ、大陸の文化などを積極的に学びとった。こうした姿勢が後に他の二山をしのぎ、琉球における中心の勢力となったことの理由と言われている。

冊封のため中国から派遣されて来る使節団のことを冊封使と呼んだ。団長を正使、副団長を福使と呼び、総勢で400人近い大使節団であった。冊封使一行は、琉球に約半年間滞在し、琉球政府と貿易をしたり、先王の葬儀である諭祭、新国王の即位式である冊封などの儀式を行った。これらのことにより、東アジアの公的な一員であることが認められたのである。

冊封使一団が、琉球に滞在をしている間、琉球政府は、定期的に宴会を開いて、彼らの労をねぎらった。その際に出された飲み物が、泡盛であった。

● 泡盛の歴史
泡盛が製造されるようになったのは、14世紀の中頃だと言われています。その頃、琉球では、南方貿易が盛んでした。当時、シャムより持ち込まれた、「ラオロン」と呼ばれているお酒が泡盛の起源ではないかと言われています。シャムより、蒸留技術、原料、道具が伝来し本格的に泡盛造りが開始されました。琉球王国時代は、泡盛の製造は首里王府の管理下におかれ、首里三箇(現在の那覇市首里赤田町、鳥堀町、崎山町)のみで泡盛の製造が認められていました。首里王府は、泡盛をたいへん貴重なものとして扱い、冊封使の接待や贈答品としたり、江戸幕府への献上品としたりしました。

● 泡盛とは
世界で飲まれているお酒は、その製造方法により醸造酒、蒸留酒、混成酒の3つに大きく分けられます。泡盛は、タイ産の米に黒麹菌という微生物を散布し育成させた原料である「米こうじ」を泡盛酵母にてアルコール発酵させた後に単式蒸留機を使用して、蒸留した蒸留酒です。

● 泡盛の造り方
−1−
遠くタイから運ばれたタイ米をすぐ使うのではなく、まずは磨くようにきれいにします。そして、回転ドラム自動製麹機まで運びます。
−2−
洗米:研磨機で運ばれた米をさらに水で洗います。→浸漬(しんせき):黒麹菌を繁殖させるために、米に水分を含ませ水切りをし、米をさらに蒸します。蒸し上がった米の温度を40度に下げて、黒麹を加えます。
−3−
回転ドラム製麹機内で黒麹菌の散布が終わって約20時間後、次に円盤製麹機に移し、さらに攪拌して、黒麹菌を均一にします。その間、完全に温度管理がされこうじ造りが完了します。
−4−
天然水と酵母の入った仕込みタンクに出来上がったこうじを加えねかせます。夏なら、18日から21日、冬なら21日から25日間ぐらいで、もろみが出来上がります。
−5−
出来上がったもろみを銅製蒸留機で、蒸留します。
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蒸留されたお酒をステンレス製タンク、樫樽、焼物甕などに貯蔵され熟成されます。

黒麹もろみ酢


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