Column2005
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 1月

「暴力定義について」

 皆さん、あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします。

 

 新年を迎えるにあたりまして、時事のコラムというよりは、私たちの学校において、主のテーマとして扱っています「平和」についてのコメントを書いておきたいと思います。皆さんが、「平和」について考えるときの1つの指針にしてもらえればうれしいです。

 以下の小論は、実は他のところに書き下したものなのですが、その原稿が没になってしまった関係で日の目を見ることができなくなりました。私としては、なかなか満足したできだったので、このままお蔵入りでは、もったいないと思い、「たより」に掲載することにしました。論文形式で書きましたので、文体がデアル調になっています。ご了承ください。

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 「平和」について

 はじめに、「平和」について少し考えてみたい。今回制作中の学習リソースにおけるテーマの1つは、「平和でない状態が発生するしくみ」を考えることであった。では、もとの状態である平和な状態とは、どのような状態をさすのであろうか。思索に入る前に、分かり切ったことではあるが、「平和」とか「暴力」とかという概念は、人間におけるものであることを確認しておく。では、「人間にとって平和な状態」とは、一言で「人間にとっての平和な状態」といっても、その平和観は多様で、相対的なものになってしまう。それでは思索の範囲が広がってしまうので、ここでは、狭義なとらえ方になってしまうが、「平和な状態」とは、簡単に「戦争」でない状態としてみよう。しかし、このように簡単に「人間にとって平和な状態」を「戦争」のない状態であると説明しても、その「戦争」そのものの質が、近代戦争と前近代戦争ではだいぶ違う。ましてや、それらの戦争が時代時代の民衆に及ぼす意味も相当に違う。つまり、「人間にとって平和な状態は?」という視点を「戦争」を絡めた平和観によって説明することはたいへん難しい。

 「暴力」について

 そこで、もう一方の視点である「平和な状態」を破壊する要素である「暴力」という視点から考えてみる。すると、この「暴力」というものに対しても、加害者としての「暴力」と被害者としての「暴力」という2つの顔を持つものであるということがよくわかる。特に、政治的な脈絡からみた場合、歴史の中で振るわれた暴力は、必ず「善い暴力」と「悪い暴力」の区分けがされている。その区別基準も「平和」同様相対的である。しかし、「暴力概念」の場合、「平和概念」とは違い、人類の発展という政治的脈絡の中においては、暗黙のうちに肯定された位置を優先的に確保されてきた。ゆえに、「暴力」概念を否定的に主張したテキストは少ない。こうした人間の歴史に絡む「暴力」という概念を考察するには、歴史における区分を必要とするのではないだろうか。したがって、本論ではどこの時代における「暴力」についての概念を検討するべきかを考えるために、前近代の暴力と近代の暴力の特徴を整理することから「暴力」ということについて考えてみたい。

前近代における「暴力」

 そもそも人間という集団の中で発生をした暴力行為とは、どのようなことが発端であったのであろうか。一般的な言い方をすれば、そうした暴力行為の発端は、人間が本来持つ情動領域における欲望による直接的暴力であったに違いない。

 一言で前近代と言ってもどこまで時間を遡るかという問題がでてきてしまう。したがって、その区分線も1つのイメージとしては、技術的なものの有無によって線を引きたくなってしまう。例えば、産業革命前後というように。確かにそうした区分線も無視することはできない。最終的には、そうした基準に焦点をあてるにしても、現段階では、前述した人間の情動領域が優先していた時代と政治が優先された時代というような曖昧な区分で話しをすすめていきたいと思う。

 人間の情動領域が優先されていた時代における暴力のあり方はどのようなものであったのだろうか。そうした性格が色濃く残されていた1つのモデルは、古代ギリシア時代におけるポリス(都市国家)のような、交易事業などを中心とした海洋型の共同態国家であったのではないか。こうした海洋型都市国家における「暴力」の行使のされ方は、その後に現れるようなローマ型の中央集権的国家が実行した「暴力」とは明らかに質が違うと思われる。彼らが実行した「暴力」は、帝国国家が行った植民などに関連する「暴力」ではなく、あくまでも自分たちの生活領域(生活糧領域)に侵犯をしてくる外敵を追い払うものであった。すなわち、原則的には、彼らの持つ暴力は、我が身の安全を守るために行使をされた拡大されない暴力であったということである。だからと言って、彼らが行使をした「暴力」が平和的であったのかというとそうではない。自分たちの生活領域に侵犯をしてきた敵に対しては、徹底的な暴力が実行され、敵を完全に殲滅するまで遂行された。つまり、彼らにとっての生活領域は、自分たちの身体の一部であり、情動領域であったわけである。そこに侵入をしてきた外敵を自分の体内に残しておくわけにはいかなかったのである。そういう意味においては、こうした暴力行為を簡単に肯定することはできないが、言ってみれば、前近代における「暴力」は、人間が生きるための暴力であったと言えるのかもしれない。

近代における「暴力」

 ある意味で産業革命以降の「暴力」は、前述をしたような海洋型国家における「暴力」とは、まったく質が違う。特に、資本主義国家が確立されてから行使された暴力は、個人であれ集団であれ、そうした資本主義構造が深く関与している。ゆえに、近代における様々な暴力について考えるには、資本主義との関連を分析することは不可欠である。近代における代表的な暴力の1つが、第1次世界大戦・第2次世界大戦をはじめとする国家をあげての総力戦となった「戦争」であろう。こうした近代における最大の暴力である「戦争」についても、資本主義との連関の中で、その発生のしくみを明らかにしていかざるをえない。

本論における「暴力」概念の視野

 これまで書いてきたように、「暴力」に関連をする学習リソースを制作するのであれば、近代における暴力である「近代戦争」を対象とした学習リソースづくりに特化をしてしまうという考え方もあると思う。確かに、そうしたやり方も重要なことであると思われるし、筆者としてもいつかはそうした学習リソースを制作することも視野には入ってはいる。がしかし、逆の見方をすれば、「近代戦争」などだけに焦点を当てて、暴力の発生のしくみをとらえていった場合、資本主義構造によって引き起こされている暴力とは、質的に違う暴力であった前近代暴力を同じ線上の暴力であるとみなし、そういった性格の暴力であるがゆえに、「人類の発展にとって暴力は必要なのだ」とか、「人間の本能として、暴力的な行動は否定できない」だとかいう言説に近代暴力をも、回収されていってしまう可能性が孕むと思われる。ゆえに一見をしたところでは、同じ「暴力」の1つであると見えてしまう「暴力」という事象をあえて、本論では前近代における暴力事象から眼差してみることにした。

「暴力」定義

 そこで、時代的、技術的な区分けをすることによって、その前後で、「暴力」の質が変化をするということを念頭に入れ、暫定的ではあるが、本論における「暴力」の定義を行ってみたいと思う。

受ける暴力と加える暴力

 ここでいう「受ける暴力」とは、民衆が受ける暴力のことをイメージしている。暴力としての質は違うが、民衆が受ける暴力は、大きく分けて2つある。1つは、自然などの脅威から受ける暴力、台風だとか地震だとかがこれに相当する。そしてもう1つの暴力は、権力から受ける暴力、特に、民衆が集権制度の下部組織として位置づけられたときに、その階層の上部より受ける暴力をさす。そういった解釈においては、前近代における領主などから受ける暴力も、資本主義社会における上部権力から受ける暴力も民衆が受ける暴力としては、同じものであると考えるべきであろう。つまり、民衆の側からみた場合、その暴力の原因が、自然であれ、権力であれ、民衆の受ける暴力としては同質のものであると思われる。ゆえに、受ける暴力とは、「民衆の生活を阻害する力」と言えるのではないだろうか。

 次に、「加える暴力」ということについて考えてみたい。これは、民衆が加える暴力のことである。一言で言えば、生きるための暴力などという言い方ができるかもしれない。しかし、時代的な区分を想定してもう少し詳しくみてみると、前近代において民衆が行使をした暴力の多くは、情動領域における欲望によって引き起こされたものであることが分かる。それに対して、近代以降、特に資本主義体制が確立されてからの社会においては、ある意味では、情動領域の1つの欲望であるともみることはできるが、その欲望は、貨幣を得るための欲望であると集約することできるのではないだろうか。これら2つの暴力が行使されるときの理由は、情動領域の欲望によって引き起こされる暴力の場合は、民衆の生活が何らかの力によって侵害されたとき、自分たちの生活を保全するために引き起こされる。一方、貨幣に対する欲望によって民衆が暴力を振るう場合は、資本主義構造における上部権力によって、民衆の情動的欲望が貨幣という欲望へとすり替えられた場合に引き起こされる。こういった2つの性格の総体としての加える暴力とは、「欲望を達成するために行使される力」ということになると思われる。

本論における「暴力」定義

 今までに書いてきたことからも分かるように、私たちが想起する暴力の多くが、社会の権力構造などから発生する上部から行使される暴力だけを想定しがちである。確かに、そうした上部構造から発生をしてくる暴力は、周到かつ強力であり、民衆の力によってその暴力を払いのけることは、相当に難しい。しかし、実際の暴力は、何もそうした上部からの暴力ばかりではない。民衆の側からの暴力も確かに存在をしている。したがって、単純に権力の側からの暴力は悪くて、民衆の側からの暴力は善いとは言い切ることはできない。そういった実際の中、筆者は、現段階において暴力定義を固定化しようとは考えていない。今後、十分に変化をすることは考えられるが、先にも書いたように現段階において、考察をすすめる上での筆者なりの暴力定義を仮説的に提案をしておくことにする。

「暴力」とは、民衆の生活を阻害する力であると同時に、欲望を達成するために行使される力である。

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 今回定義をした「暴力定義」は、自分で言うのも何ですが、相当によいところをついたと思っています。この定義を使うときに注意をしてほしいことは、「欲望」という言葉の意味です。この言葉は、善いことであれ、悪いことであれ応答します。さらに難しいことに「善いこと」「悪いこと」の基準は、相対的なものです。したがって、「欲望」という言葉は、統一的な言葉としてイメージをしてください。ある意味で、全ての人間が持つ情動に属する言葉であると言えるでしょう。ゆえに、「学びたい」と希望する気持ちもある意味で、「欲望」なのです。あっ気がつきましたね。「学び」を阻害する力、そうです、それも「暴力」であるのです。


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 2月

「人間は自然との共生は可能なのか」

 昨年来、2005年に入っても地球のいろいろなところで自然災害と呼ばれるものが発生しています。災害という言葉を聞くと直ぐに思い浮かべることは、自然の現象が発生をした所に人間が住んでいた場合、それも1人や2人ではなく少なくとも村や町規模以上の人が住んでいた場合、その自然現象は災害と言われます。すなわち、自然現象が発生をした場所に人が住んでいなかった場合は、その現象のパワーがいかに大きくとも、大自然の脅威などという言葉で表現をされます。

 こんなことを考えると「災害」って微妙だなと思ってしまいます。

 いろいろな前提というか否応なしの条件みたいなものは多々ありますが、難しくは考えずに話をすすめます。なぜ、微妙なのかというと、単純なことなのですが、もともとあった大自然の中に分け入って村や町を作ったのは、人間であったわけです。自然が主で、人間が従の立場でした。簡単に言えば、人間は、新参者でもともとの住人である自然のふところに立ち入るのであれば、それなりの謙虚さが当然に必要であったわけです。そういう意味では、自分たちの機械化のために自然から搾取をすることを知らなかった古代人たちは、自然を敬う気持ちを忘れずに自分たちも自然の一部であろうと努力をしていたように感じます。

 そうした古代人たちに比べて、近・現代人たちが自然の領域へと進出していった理由は何であったのでしょうか。古代人たちが、自分たちが生きていくための食料などを確保するために自然の領域に入っていったのに対して、同じ食うためであったとしても換金するための資源を得るために自然の領域へと進出していったわけです。

 そんな換金のための資源搾取も、集団や村の規模が小さかった頃は、まさにどんぶり勘定的に自然資源を換金した分だけ生活のために消費をするような状況であったと思います。そのくらいの規模なのであれば、自然の治癒力の範囲で、人間の取り分も自然の連鎖の一部であったでしょう。しかし、人間は効率よく採取するための道具を手に入れることによって、自分たちだけでは消費しきれないほどの採取ができるようになります。そうした余剰分をストックするようになり、一族郎党ごとの余剰資本の蓄積が始まるわけです。そして、集権化の過程の中で、そうした余剰資本を中央へと集めるためのシステムを作っていったのが時の為政者たちであったのです。そのシステムは相当に巧妙であったわけです。システムの話をするだけでまた長くなってしいますので、ポイントだけ話せば、より多くの余剰資本が蓄積されやすい場所、たとえば、金山や海の幸などが豊富な場所、米を作りやすい場所などを領土、すなわち自分たちの国家の中へと組み込んでいったのです。

 そして、そこに住まう住民たちにはより多くの余剰資源を国家に納めれば、より物質的に豊かな生活ができることを保証したわけです。

 そうしたシステムがより高度に確立をされた近・現代社会では、民衆は、こぞって自然からの資源の搾取に拍車をかけることになるのです。焚き付けられた人々の欲望は、とどまるところを知らずに、1つの場所の資源を採り尽くすと新たな場所を求めて、より深い自然の中へと進出していったのです。そんな人々の欲望の痕跡が村や町であったのです。資源の枯渇とともに衰退をしていった多くの村・町の中にあって、絶えず新しい換金的な付加価値を付け続けることができた場所は、より大きな町、すなわち都市として、まさに発展をすることができたわけです。

 昨年末にあったインド洋大津波、いろいろなことが考えられました。災害に会われた方々たちには心からお見舞い、お悔やみ申し上げます。しかしながら、前述をした話を思い浮かべながら私の頭は果てしなく混乱をします。混乱をしたままに書きなぐります。あのインド洋沿岸で、家族が生きていくためだけに生活をしていた人々はどうなってしまったのだろうか。観光業や生産業などという近現代における労働のカテゴリーに属さず生活をしていた人々はどうなってしまったんだろうか。リゾート・観光業、そこで働く現地の多くの人々は、生活をしていくために貨幣を得なくてはいけなかった。おそらく皆、ホテルや土産物屋など、外国人観光旅行者へのサービスを提供する対価として、貨幣を得ていたに違いない。まさに新しく条里化された自然資源を搾取するために動員をされていたに違いない。貨幣への欲望が人々をある場所へと集める。なにも貨幣への欲望を悪いと言うつもりはありません。違う面からみれば、そうした民衆の貨幣への欲望を焚き付けているのが、近代社会の資本主義構造です。この社会に参加をすることを表明した途端、貨幣への欲望が第一に優先されます。これはしかたがないことです。参加を表明するということは、ある意味で、覚悟が必要なのかもしれません。

 自然は、なにも災害を起こそうと思って、台風を発生させたり、地震を起こしたりしているわけではありません。地球の鼓動の1つとして、大地を揺らしたら、結果としてそこに人が住んでいた。民衆がまだ、貨幣への欲望に囚われていないころは、そんな自然の奥深くには、人が住んでいなかった。ゆえに、地球の鼓動は、災害とはなりえなかったのです。地球の鼓動の方が先で、人間の生活の方が後なのです。そんなふうに考えてみると、最近地球上で起きているいくつかの災害は、人間が呼び込んでいるように見えるのは私だけでしょうか。

 そういう意味では、今回の災害などでは、自然と共生をしていたはずの人々たちの動向が気になります。資本主義社会の報道に映ってこない人々はどうしているのでしょうか。うまく回避をしてくれていればよいのですが。何世代にもわたり南海の孤島で海の民として生活をしていた人々は、古老の言い伝え通りに海の気配を感じ逃げ、全員が助かったそうです。彼らは言います。「家は無くなったが、命があるので、家はまた作ればいい」と。機械化社会のもろさが災害のときに露呈をします。人間は、自然を自分たちの前にひれ伏させるまで、自然と闘い続けるつもりなのでしょうか。貨幣を得るために。貨幣を得ることを第一優先と考えるかぎり、災害は、増え続け発生し続けるような気がします。流れに逆らって、杭を打ち続けるようなものです。杭が流れる度に災害が起きたと人間は言い続けることでしょう。なにか視点の違う復興支援ができればいいと思いつつも、貨幣への欲望に囚われている地域への支援は貨幣が一番なのかなどと考え、自らも資本主義社会の中で生き長らえている自分に憂鬱を感じるこのごろです。


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 3月

 「偽金事件」

 本年度も最後の月となりました。
 卒業を迎えようとしている方々、おめでとうございます。
 皆さんのねばり強さには心から敬意を表します。

 最近、日本の各地で偽金の事件が頻繁に発生をしています。コンピュータの発達などによって、コピーの技術などが飛躍的に向上したことも原因の1つなのかもしれません。おそらく、現在一般に公開されている技術だけを駆使したとしても、相当に精密な偽金、逆に言えば、限りなく本物に近い貨幣を作ることが可能なのではないかと思います。そんなことを考えながら、偽物と本物の違いはどこにあるのかな、などと思ったりしました。例えば、今回の貨幣の場合、全て同じ材料を揃えて最新の技術を使えば、ある意味で見かけは、真偽を見分けることができない精巧なものが作られる可能性があると思うのです。そうなってくると、貨幣などの真偽のポイントはどこにあるとしたらよいのでしょうか。金貨のように材料そのものに価値がある場合は別として、紙幣などの場合は、材料費とか印刷代などは紙幣に書いてある数字ほどの価値はないのが一般的でしょう。つまり、貨幣に価値を与えているのは、「数字」と「信用」ということになります。

 ちょっと話はずれますが、「価値」ということについても考える必要がありそうです。このことは後ほど考えるとして、貨幣が額面どおりの価値を発生している社会をどう見るのか?この状態を善意で見ると、信頼関係で満ちあふれた社会であると見えます。実際には、額面以下の価値しかない印刷紙を数字どおりの価値で通用させているからです。逆に少し厳しい言い方をすれば、従順な社会であると言えるのかもしれません。それは、時々の権力者たちが、貨幣社会を目指したことは、中央に権力を集中させるために考え出した制度であるからです。

 確かに今回の事件は、安全な社会を破壊させる行為であると思えますが、一方では、貨幣が民衆にとって何のためにあるのかを考えさせる契機となっているのではないでしょうか。貨幣に書いていある価値を最優先する社会、それはある意味で、物が持つ本来の意味を忘れてしまった社会を表します。私たちの回りにある物の本当の価値だとか、意味を忘れてしまった社会は、仮象の社会であると言えるでしょう。もし、仮に私たちの住む社会が仮象の社会となってしまっているのだとすれば、社会の基準となっている「真理」だとか「理性」だとかという言葉の意味を、今一度考え直さなくてはいけません。それはどういうことか言うと、例えば「真理」という言葉は、今を生きる私たちにとっては絶対的な意味を持っています。しかし、私たちが生きている社会が仮象の社会であるとすると、私たちが信じている「真理」は、相対的なものになるわけです。つまり、「真理」を見るときの視点は、遠近法的でなくてはいけないということを意味してくるわけなのです。こうした視点で、例に出した「真理」という言葉の意味を今一度考えてみると、「真理」とは、その時代、時代、その時の時代を自分たちの社会だと思っている人たちの価値観(評価される度合い)によって、決められるものということになります。「真理」とは、その時代の価値観による評価であるということになります。

 話が広がってしまったのでもとに戻しますと、現在、私たちの社会において、価値評価を決めている基準は何であるのかと言うと、資本主義社会であるがゆえに、評価できるということは、単純に言って「計算できる」、つまり、お金に換金できる能力が高いということを意味します。今まで書いてきたことを頭に入れて、偽金事件のことを考え直してみると、こうした現代社会における価値評価を逆手にとった事件であると見えてきます。社会において、こうした事件が発生をするということは、その社会の「真理」が疑われてきている。もっと厳しい言い方をすれば、「崩壊」してきていると言うことができないでしょうか。簡単な言い方をすれば、「もう、どうせあってないような真理なのだから、みんなで偽物でも本物のようなふりをして使って、楽しく豊かな生活をしましょう」という話にも見えてきてしまいます。

 こうした社会の状況は、善意の見方をすれば、従来の価値観の崩壊の兆しを意味し、新しい価値観の到来を予兆させるものであると言えるでしょうし、厳しい見方をすれば、現代社会の秩序の崩壊を意味し、混沌とした時代を迎える幕開けという見方もできます。どちらにしても、私たちが、これからの社会を生き抜いていくためには、自分の中にどういった指針を持つべきなのかが問われる時代になってきていることに違いはありません。偽物は偽物として見抜き、あくまでも自分にとっての本物をまなざし続けるのか、偽物を使えるからといって、本物のふりをさせて使い続けるのか。自分で考えなくてはいけない時代なのかもしれません。

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 4月

 「株式社会」

 季節は確実に巡り、今年もまた桜の季節となりました。
 新しい年度が皆様にとって幸多い門出となりますように心から願っています。

 この数ヶ月、世間のニュースでは、株に関係する話があちらこちらで取り上げられています。株など持ってもいないし、購入するお金もない私にとっては、無縁の話と傍観していましたが、毎日毎日のニュースで、やれM&Aだ、やれ上場だなどと言われ続けると、世の中、株などの動きに一喜一憂する人が相当いるのだなということが何となく伝わってきます。

 株式の話を聞くと私が直ぐに思い出すのは、1929年の世界大恐慌の話です。当時、第1次世界大戦後、敗戦国のドイツへの投資、ヨーロッパ戦勝国からの戦費貸付の回収などによって未曾有の好景気に湧いていたアメリカが、銀行の過剰投資や企業の生産過剰などによって、大不況へと転落していった話です。アメリカに発した恐慌の波が世界に伝わり、第2次世界大戦の元凶となっていったわけです。

 そんな資本主義システムの崩壊の教訓を生かして、現在の資本主義システムは、様々な安全対策を実施し、より安全に各システムが運営されていると言われています。恐慌のときの教訓の1つとして耳に残っているのは、株式によって運営をされている会社組織の責任というか、目的の話です。資本主義社会における会社組織の目的は、利潤の追求にあることは間違いありません。しかし、恐慌の頃の会社組織は、経営者がその中心にあって、会社の資金を集めるためだけの株主というニュアンスでした。それが、恐慌以降は、会社の運営の中心は、株主であるという意識に変化をしていきます。この傾向は、ある意味で、リスクの分散であるといえるでしょう。しかし、最近の資本主義社会の基軸である株式会社組織は、より営業資金を集めやすくするために株主の安全度を高め、利潤の配当がより多く還元できるようになってきています。その分、株主の権利と義務も強化されてきており、資本家と投資家との距離は近づいていると言えるでしょう。

 こうした変化は、21世紀における人間の欲望がより単一化されてきたのではないかと私の目には写ります。言い換えれば、貨幣への欲望の一般化がより強度に進行しているということになります。そこで、今回は「欲望」について少し話をしたいと思います。

 現在、「欲望」というと上述したように貨幣への欲望がその存在を強めているがゆえに、もう1つの欲望の意味が薄らいでしまっています。もう1つの欲望とは、自然への欲望とでも言ったらよいでしょうか。ここでいう「自然」とは、自然という言葉が持つそもそもの意味である「本性」という意味です。つまり、本性への欲望ということになります。この欲望は、具体的に言うと、人間が本来持っているはずの意識への回帰、すなわち「穏やかでありたい」とか、「平等でありたい」とかというような情動的精神などの源へ回帰したいと欲するものです。前者の貨幣への欲望、ある意味で暴力的な欲望と後者の自然への欲望である情動的な欲望は、人間の歴史の中では、いつでも存在をしていました。この2つの欲望が、振り子のように揺れ動いてきたのが人間の歴史であると言えるのです。

 一見相反するような、これらの2つの欲望が、人間の歴史の中に存在し続けるのは、その欲望の振り子を動かす原動力が同じものであるからなのです。その原動力は、簡単な言い方をすれば、「生への力」ということになるでしょうか。ニーチェなどは、「力への意志」などという表現をしています。つまり、全ての人間が持つ、よりよく生きたいという願いが2つの欲望の原動力となっているのです。


 しかしながら、この個々の人間が持つ、「生への力」のエネルギーは、どちらの欲望の原動力ともなりえるので、時の為政者たちは、自分たちの都合のよい欲望への原動力として引き込もうと画策をします。それがまさに機械化絶対主義の歴史でもあるのです。特に機械化の歴史、言い換えれば近代化の歴史においては、両者のバランスは著しく傾き、貨幣への欲望を焚き付けることとなるのです。その焚き付けるための装置が、資本主義社会における制度なのです。学校しかり、マスコミしかり、株式しかりというように。が実はこのバランスは、いつまでも傾き続けるものではありません。あるとき、本来の均衡関係、自然への欲望が強い時代へと戻るのです。これが回帰です。この回帰を進める作業のことを救済と呼ぶのです。

 学びたいと欲望することは、後者の欲望に属します。つまり、私がやっていることは、学びの救済であるのです。教育は前者の欲望であることは言うまでもありません。

 微細にわたって、貨幣への欲望が充満している社会は、回帰への転回期でもあるのです。振り子の玉が逆の方に向かって振れだす日は間近なのではないでしょうか。

 最後に重ねての注意を1つ、今回書いた2つの欲望は、二項対立的な関係ではないということを忘れないでください。現代社会における私たちの生活を省みると、貨幣への欲望によって、豊かになった事実も否定をできないわけです。したがって、いつも言っていることですが、2つの欲望のバランスというか、宥和ということが大事なことなのかもしれません。蛇足ですが、世の中で二項対立的に見せられている事象については注意が必要であるということです。

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 5月

「暴力化社会」

 満開の桜の花も、この時期に必ず来る春の嵐に、その艶やかな美しさを短くして散らせてしまいます。でも、今年はなぜかゆっくりと桜の花を見ることができました。5月の鎌倉は、新緑の季節で、桜の4月とは、また違った美しさを見せてくれます。もしかしたら、私は5月が好きなのかもしれません。全ての生が現出してくる季節だからです。人間という存在が現れる以前から、人間の存在とは関係なく生まれ続けている多くの生たち、その生き様は、まさに芸術であると言えるでしょう。

 雨にけむる5月の新緑の鎌倉の山々を眺めていると、ちょうどその時、琉球の友人から、時雨(しぐれ)という泡盛が送られてきました。ここ数年、私が好んで飲んでいる泡盛です。泡盛が初めての人には、少しきついかもしれません。さっそく、封を開け、新緑の臭いとともに杯を傾けました。鎌倉の新緑の香りと琉球の泡盛の香りが交わり、私の鼻を抜けていきます。まさに、鎌倉と琉球との融合です。その昔、南蛮物が好きだった鎌倉武士たちも同じような宴を催していたかもしれません。私の回りをゆるゆると時間は流れていくのでした。

 先月、私は2つの暴力について思惟をめぐらせていました。1つは、最近日本で多く起きている家庭内の児童虐待です。そしてもう1つは、やはり最近中国で起きた反日デモです。暴力の形態というか質から言うと、前者は内の暴力で、後者は外の暴力と言えるかもしれません。内と外、一見、別物のようなこの2つの暴力をじっと見ていて、この2つの暴力にある共通点に気がつきました。その共通点とは、両者とも社会が資本主義的な発展をしている過程において起きている事件であるということです。資本主義的という言葉を言い換えれば、近代化とか機械化とかという言葉になるでしょうか。ただ、日本の場合は、その終期とは言わないまでも、かなり発達をし切った段階であり、中国の場合は、まだまだ初期的な段階であると言えるでしょう。ここで誤解をしてほしくないのは、終期だ、初期だと言ってもそれは、あくまでも欧米的な価値観のもとでの話であって、アジア的な価値観のもとではないということです。

 とりあえずここでは、欧米的な価値観のもとに話をすすめます。資本主義社会の発展の初期の段階では、民衆の暴力は、外に向かい、終期の段階では内に向かう。なぜだろう?そんなことを私は考えていたのです。その理由の1つに、民主主義化ということが関係をしているのではないかと思ったのです。

 一般的な考え方をするのであれば、民主主義が発達をすれば、暴力は無くなり非暴力社会になるのではないかと思われます。今回、私が言っている暴力は、権力による暴力ではなく、情動的な暴力をさすことにします。フォースではなく、バイオレンスです。欧米的な価値観における民主主義化とは、近代化・機械化のことを指します。ここがポイントだと思うのです。民主主義化とは、上述した脈絡から考えると社会の近代化、すなわち社会の理性化をめざすものです。社会の理性化を推進しているのが、民主主義的な制度の数々であるわけです。例えば、法律などのような。中国における反日デモに対して、中国当局は、「無届けのデモは違反である」と民衆に警告をしました。つまり、法律に則って理性的に行動をしなさい、そうした行動ができる市民社会こそ、民主化された社会なのだよということです。そうした民主化の教育が徹底され、浸透した社会が日本ということになります。

 日本のような発達した資本主義社会ともなると、教育の成果により、多くの民衆は民主主義社会における善いこと悪いことの判断力がもう十分に身についています。国家当局から警告を出されなくても自動的に、各自が法に照らし合わせ判断ができます。ゆえに、現在の日本では、その昔あったような反米デモが民衆レベルでは起きません。起きるとすれば、届け出を出した非暴力の合法的なデモです。

 そもそもアジアの人々は、法があったから暴力の行使をコントロールしていたのでしょうか?この疑問に応えるには、思索が足りません。次の機会にしましょう。とにかく、現在では、近代化され民主化されたアジアの多くの国々の人々は、民主的な法に従って社会の善いこと、悪いことを決めています。特に発達をしたと言われる我が国日本では、政府に言われるまでもなく、市民の多くは理性的に社会の善し悪しを判断し、情動的な暴力などではうったえないようにして冷静に世の中の出来事に対応しています。

 そんな日本において、ある意味では法がなかなか効力を及ぼすことができない家庭という密室社会において、子どもに対する情動的な暴力が頻繁に発生をしているのです。理性的に考えたら発生するはずのない、弱い立場にある子どもたちへの暴力が発生をする社会。

 近代化という意味の民主主義化は、人間の情動的エネルギーを抑圧していく。初期においては、そのエネルギーは外に対する暴力という形で発散されるが、近代化が進むにつれ、そのエネルギーは内在化され、内に向かって発散される。だとすれば、暴力とは、人間が本来持つ情動的エネルギーの表現方法の1つであると言える。なんてことを考えてみると、そもそも人間はそうした情動的なエネルギーを必ず持っているわけで、それが全て、いわゆる暴力という形で表現をされてきたわけではありません。いろいろあるその表現の1つが、芸術であったり、貨幣への欲望であったりするわけです。このエネルギーは、ある意味で、欲望であると言えるでしょうし、その欲望が現在の人間の発展の歴史を支えてきたことは明らかです。すると、別の言い方をすれば、理性を制度によって抑制しようとすると、情動的欲望は、人間の意識の中により内在化をし、無意識的なレベルにおいて、制度的理性の影響が希薄な領域において噴出する。

 この現象を善意で解釈すれば、人間という生き物は、より自然としての存在の意識を忘却することはできないということを意味していて、ハイデガーが言うところの現存在としての人間であることの裏打を意味していると言えるのではないでしょうか。そこを前提として、理性だとか、制度だとか、民主主義を考えていかないと、強度化した近代化や民主主義化は、内在化した暴力、すなわち監視の目の届かない密室における弱者に対する暴力を噴出させかねない。さらに踏み込んだ言い方をすれば、「法律などの制度による理性的な方法だけでは情動的な暴力を押さえることはできない」ということになるのではないでしょうか。

 近代的な発展を望めば望むほど、暴力は内在化をしていき、その暴力を押さえるために法や制度を強化すればするほど、暴力はより先鋭化していく、まるで悪循環のように見えます。このことに対する解決策は、荒っぽく言えば2つあると思います。1つは、いつも言っていることですが、少々価値観を変える。つまり、経済的な発展や欧米的な近代化だけを第一優先とする考え方を少し変えて、情動的な欲望、情動的な欲望と言っても難しい話ではなく、現存在としての人間を認めること、すなわち人間も自然の一部であるということを自覚し、自然との共存の道をもの模索していこうという価値観を持つことです。そして、もう1つの方法は、本来、人間が持つ情動的なエネルギーの暴力的ではない表現の仕方を学ぶということ。簡単に具体的な方法を言えば、それは芸術への接近と言えるでしょう。芸術と言ってもこれまた難しい話ではなく、何かを制作するということです。わかりやすいことであれば、例えば、詩を書くとか、いや、自分らしい生き方をするということなども制作的な実践の1つであると言えると思います。自分なりの生き方をするということは、芸術であると言えるのではないでしょうか。

 児童虐待の話や中国の反日デモのことを書こうと思っていたのですが、だいぶ脱線をしてしまいました。おさまりが悪いのですけれど、本日はこのへんで。

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 6月

「世の中、悲劇ばかりが流行る」

 最近「悲劇」ということについて、いろいろと考えていました。
 毎日の新聞を読めば、まさに「悲劇」と呼ばれる記事があちらこちらに掲載されています。自然災害にまつわる悲劇、人災にまつわる悲劇、情愛がらみの悲劇というように、悲劇のニュースには事欠きません。現代人は、「悲劇」と背中合わせに生活をしているということになるのでしょうか。

 そこで、「悲劇」とは何かと思い、辞典で調べてみました。

 ひ−げき【悲劇】

1.主人公が運命や社会の圧力、人間関係などによって困難な状況や立場に追い込まれ、不幸な結末に至る劇。

2.人生や社会の痛ましい出来事。「貧困がもたらした−」。

 辞典の説明によれば「悲劇」とは、人間にとっての痛ましい出来事、またはそうした出来事をテーマとした劇のことをさすようです。

 次に現代社会において、結果として「悲劇」と呼ばれている出来事の原因について考えてみました。例えば、最近起きた列車事故による悲劇、事故で亡くなれた方々、怪我をされた方々、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。現代において、こうした事故に関係する悲劇は、何年かに一度は起きています。こうした悲劇の原因を考えたとき、機械の故障であったとか、人為的なミスであったとかいろいろな理由づけがされます。確かに、安全マニュアルに書いてある点検等をきちんと行っていればとか、工場における生産ラインのチェックをもっと厳しくやっておけばとか、人材に対する技術指導をもっと厳しくやっておけばこうした悲劇は避けることができたはずだという言い方はできるかもしれません。でも、こうした悲劇における原因の指摘は、悲劇的な事故などがある度に繰り返されてきました。根本的な原因は本当にここにあるのでしょうか。

 少し飛躍的な話にはなりますが、こうした事故における悲劇と、いわゆる戦争によって引き起こされた悲劇とは、意味が違うのでしょうか。最近思うことは、もしかしたら現代の事故などによって引き起こされた悲劇と近代国家のよって引き起こされた戦争による悲劇とは、その元はいっしょなのではないかということです。なぜ、そんなことを思ったのかというと、事故などによる現代悲劇の原因を考えたとき、前述をしたようにシステムの問題や人為的なミスの問題は指摘をされますが、そもそもの問題、なぜ現代人間社会は、過度なまでの効率化だとか、利便性だとかを追い求めているのかという問題、もっとシンプルな言い方をすれば、人間にとっての豊かさとか幸福とは何なのかという問題、そうした問題への言及を見ることができません。現代社会における悲劇を語るとき、その前提として、現在の日本社会における合理性を全肯定した上での話が多いわけです。この体質、この日本社会というか近・現代社会の体質こそが実は、悲劇を引き起こす原因だったのではないかと思ったのです。とすると戦争によって引き起こされた悲劇の多くが、何のために日本は戦争を起こしたのかという、そもそもの理由を忘れてしまい、結果として起きた悲劇性だけが注目されてしまう形と似ている気がしたわけです。

 もしかしたら、こうした手法は、近・現代悲劇の特質なのかもしれません。発生をした悲劇を、根源的な理由へと回帰させるのではなく、表層的な理由へと回収させていく。発生をした悲劇の反省を社会構造の改革へとつなげるのではなく、そうした社会構造を守るためのバリヤ、スケープゴートとして利用していくというやり方です。現代社会で起きた悲劇の回収の仕方、特にマスコミなどの取り上げ方は、まさに先の戦争の悲劇を回収していく靖国の問題と重なるのです。

 これらの思惟からわかったことは、現代の悲劇とは、まさに政治によって引き起こされている悲劇であるということです。「現代の悲劇は、全て政治によって引き起こされているものである」このように言うと、では、男女関係のもつれなどによって引き起こされた悲劇は、情動的なものなのではないのか、つまり、人間の本性(自然)が持つものが原因となっているものなのではないかと指摘をされる方もいらっしゃるかとは思います。しかし、こうした情愛が関係をしているような悲劇的事件もよく観察してみると、例えば殺人の主たる動機は、社会規範、そうです法律や道徳という現代システムからはずれることによって発生する自己の不利益さを隠蔽するためである場合が圧倒的に多いと、言わざるをえません。別の言い方をすれば、「現代社会は、その構造を維持するために政治的な悲劇を必要としている」ということなります。

では「悲劇」とは、そういった性格のものでしかないのでしょうか。人間社会の悲劇の必要性を明らかにした人の一人がニーチェです。彼は人間社会における悲劇の必要性を明らかにした上で、「悲劇」には、2つの種類があるとしました。それが、「ディオニュソス的悲劇」と「アポロ的悲劇」です。詳しいことをお知りになりたい方は、彼の著作を読んでいただくとして、彼の視点に重ねれば、現代社会における悲劇は、「アポロ的悲劇」であるということになります。確かに、アポロ的悲劇も現代社会を維持していくためには必要です。がしかし、もう一方の悲劇であるディオニュソス的悲劇も人間社会を円滑にしていくためには必要であると言うわけなのです。悲劇の是非は別として、人間社会における2つの悲劇の存在の度合いこそが、人間の存在意味のバロメーターとなっているのです。人間味ある社会とは、その2つの悲劇がバランスよく存在をしている社会をさすと思われます。現代社会は、前述をしたようにどうやらアポロ的悲劇が充満した社会であるようです。

現代社会では、ニーチェが言ったところのディオニュソス的悲劇、私が言うところの情動的な悲劇、つまり、本性(自然)による悲劇の救済が必要なのではないでしょうか。本来であれば、この本性による悲劇とは何なのかということについて、もっと話がしたかったのですが、紙面がつきてきました。ニーチェがディオニュソス的悲劇であると言った古代ギリシア悲劇の代表作の1つに、あの「オイディプス王」があります。そうした悲劇を必要とした古代ギリシア社会とは、人間にとってどういった意味があったのでしょうか。興味深いテーマです。時間がある方は、ソポクレスの「オイディプス王」でも読んでいただいて、古代ギリシア社会における悲劇の意味と、現代社会における悲劇の意味を比較してもらえるといろいろとおもしろいことに気がつくと思います。そう言えば、そもそも明治以前の日本人は、人情話、すなわち情動的な悲劇が好きだったような気がしますが…。

 どちらにしても、「社会の機械化が進めば進むほど、構造化社会になればなるほど、悲劇(構造的悲劇:政治による悲劇)ばかりが流行る」ということです。

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 7月

  「言葉の発掘−教育再考−」

 もう直ぐに暑い夏になりますね。
 鎌倉の浜では海の家が建ちならびはじめました。

 子どものころは、夏は長いものだと思っていましたが、おとなになって歳をとればとるほどに、夏は短いものになってきました。寒いより暑い方がいいと思うこの頃です。

 最近、私たちが日常の中で何気なく使っている言葉の意味について、考えることがよくあります。特に時代とともに変わってきた言葉の意味には注意が必要なのではないかと思います。

 以前にも何かのときに紹介をしましたが、近・現代における社会の1つの象徴としてよく使われる「自由」という言葉も、日本の中世以前においては、むしろ悪い意味でした。人々は「不自由」になることは望んだと言いました。他にもいろいろあります。例えば「悪党」という言葉も近・現代では悪者の集団という意味で使われますが、中世の日本では、不義の体制権力に対して抵抗する集団という意味でした。

 こうした例からも分かるように、どうやら日本の近・現代における言葉の意味は、江戸期あたりから定着した意味を引き継いでいるような気がします。別の言い方をすれば、同じ言葉でも鎌倉・室町期以前と江戸期以降とでは、言葉の意味が180度、正反対に変わったものが多々あるということです。そこで、日本の中世である室町期ごろを境にして、同じ言葉でも意味が180度、正反対に変わってしまった理由は何であるのかと考えてみました。

 同一の言葉の意味がある時期を境にして変わってしまった理由として、直ぐに思い浮かぶことは、社会における価値観の変化なのではないかということです。ただ実際には、ある時期を境にということで、一夜にして価値観が変わったというわけではなく、何十年という時間を要して徐々に変化をしたのでしょう。では、なぜ社会の価値観が変わったのでしょうか。特にこの時期の日本において社会の価値観が変化をした理由は、いろいろと考えられます。その一つ一つを検証していくとたいへんなことになってしまうので、思いつくことを1つだけ書きます。それは、仏教的価値観の定着ということになるでしょうか。このこともそう簡単には、説明しきれるものではありませんが、かいつまんで話をすると、平安期までの日本の政治は、日本の古来よりあった日本神道的なイデオロギーと渡来の仏教的なイデオロギーを習合したものでした。この時点では、いわゆる呪術的で自然を畏敬的な目でみる社会観が機能していたと思われます。それが、段々と自然を機械的なものであるとみる見方へと変化をしていきます。そうした考えの下支えとなってのが仏教であったのでしょう。このことは、平安期から鎌倉期にかけてにはあった、女性を聖なるものとしてみて政治と直結させることを重要視していたことから、男女を同等と見ていた政治的な視点が仏教的価値観の導入とともに、徐々に賎視的なものへと後退をしていったことからも想像がつきます。

 こうした「自然を支配したる人間」という価値観は、鎌倉期に入って新仏教によって、より強固なものにされたとみるべきでしょう。確かに、鎌倉期の新仏教の多くは、平安末期より賎視をされはじめた女性の救済ということを活動の中心の1つとして据えていました。しかし、こうした救済活動は、一方では、多くの新仏教が国家宗教として政府の中心的政策イデオロギーとならなかったことからも分かるように、その思いとは裏腹に女性を賎視する権力側の正当性を際だたせるものとして機能してしまったのではないでしょうか。

 このような時代によって起きた社会の価値観の変化は、様々な形で私たちが日常使っている言葉に大きな影響を及ぼしていると言わざるを得ません。そんな視点で、「教育」という言葉についても今一度考えてみることにしました。結論を急ぐために途中の思考は大ざっぱに進めますが、日本の場合「教育」という言葉は、明治維新以降に導入をされた言葉です。初代文部大臣となった森有礼が、欧米諸国のeducationという言葉を日本語として訳したことから使われだしたと言われています。意味は、「教え育てる」という意味でした。近・現代、特に産業革命以降における欧米諸国のeducationという言葉の意味は、まさに国家の人材たる人間を輩出するという目的を持ち、そのための基礎知識として子どもたちを教え育てるものでした。しかし、educationという言葉のそもそもの意味は、子どもたちの資質を引き出すという意味でした。日本の言葉と同様に欧米においてもこうした言葉の変化が存在するわけです。となれば、「教え育てる」という意味の「教育」という言葉は、経済的発展を第一目標とした日本の近・現代社会において、適切な言葉であったわけです。以来、「教育」という言葉は日本において「教え育てる」という意味で定着をし使われつづけているのです。

 とすれば、「教育」という言葉を使ってeducationのそもそもの意味の「資質を引き出す」という意味を表現することはできないということになります。そこで、「資質を引き出す」という意味を「教育」という言葉でない言葉で表現をするにはどうしたらよいのかと考えてみました。語源を調べてみたら、educationという言葉の語源はギリシア語でした。そこで、古代ギリシアにおいて、逆に「教え育てる」という意味の言葉はないのかと調べてみましたが、フィットする言葉を見つけることはできませんでした。つまり、古代ギリシアにおいては、「教育」という言葉の意味に相当する言葉はなかったのかもしれません。ローマ時代以降は、educationという言葉の祖形となる言葉の出現から始まり、英語で言うところのeducationという言葉が徐々に「教育」という意味で使われるようになっていくのです。そうして産業革命以降は、educationが「教育」という意味で使われる言葉として定着をしていくわけです。つまり、そもそも古代ギリシアにおいては「教育」という意味の言葉は無かったし、必要なかったということなのでしょう。では、なぜ古代ギリシアにおいて「教育」という言葉が必要でなかったのかということになりますが、そのことを話だすとまた相当な紙面を必要としてしまいますので、他の機会に譲ります。そこで、ここでは言葉だけに注目をして話を進めますと、古代ギリシアの考え方の影響をまだ残していたソクラテス前後の哲学者たちが実践行為として大切にしていたことは、「話し合う」ということでした。互いに話し合う、すなわち論じ合う作業こそが、お互いの資質を引き出す作業であるとしていました。そうした話し合う過程こそが、資質を引き出す行為であったのです。

 そこで、古代ギリシアにおいて、そうした作業そのものを指し示す言葉はなかったのかといろいろと調べた結果、一番近い言葉は、ギリシア語でいうところのpoiesis(ポイエーシス)、日本語に直訳すれば「制作」、意味としては「制作的実践」という言葉でした。では、「制作的実践」とは一体、どんな意味なのか?これまた説明をしだすとたいへんな量となってしまうので、また別の機会に話をさせていただくとして、最後にこのポイエーシスに相当する日本語は何かと、考えた結果だけを紹介して話を終わりにさせてもらいます。暫定的見解ではありますが、私は「学び」という言葉が一番適切なのではないかと思っているところです。それではまた。

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 9月

「心はあるのだろうか」

 暑い夏も、いつのまにか秋近くなり、季節の巡りは確実にやってきます。
 四季がはっきりしている地域に住む私たちは、自然の様々な顔を知っています。
 人間の心にも四季のような移り変わりがあるのでしょうか。

 学園の近くにある鎌倉文学館で、先日まで夏目漱石展をやっていました。せっかく近くでやっているのだからと、のぞいてみました。彼の「こころ」の原稿を見て、無性に「こころ」が読みたくなりました。駅周辺の本屋を数軒回ってみましたが、「こころ」だけがありません。ないとなるとますます読みたくなります。街のはずれの小さな本屋でやっと手に入れることができました。漱石の「こころ」の冒頭は、鎌倉の海水浴場が舞台です。そのことだけは、遠い記憶の中になぜかはっきりと覚えています。

 「ああ、これは由比ヶ浜のことだったんだ」と、久しぶりに読み、気がつきました。私が小学生だったころ、江ノ電の長谷駅や由比ヶ浜駅のちょっと南は、松林が点在をする砂の丘陵地帯でした。そこいらにある家は、家の庭までが砂浜の延長線上でした。そんな松林の中に、古い別荘屋敷や、大企業の保養所のような海の家が点在していました。また、古い西洋デザインのホテルも数軒ありました。夏になると決まって開く、海岸淵の海の家は、簡単に小屋掛けした建物の中にござを敷いたもので、最近のモダンな海な家に比べたら、まったく別物でした。そんな海の家で食べるおでんが、なぜか好きだったのを思い出しました。そして、その海の家の周辺には、射的場だとか輪投げなどの遊技場が必ずあり、夜になると遊びに行ったことも思い出されます。

 漱石の「心」の内容について直接話すのは、長くなるのでちょっと横に置いておいて、人にとっての「心」の話しをしたいと思います。近代においては、そもそも、人間に心があるのかということが1つのテーマとなりました。簡単な言い方をすれば、人間は「心」があるように思っているだけなのではないかということです。「いいや、そんなことはない、人間はみんな心を持っているはずだ、悲しい場面や悲しい話を聞くと、みんな、涙を流したりするじゃないか」、他の例えでは、ある人が「おなかが痛い」と言ったとします。するとそれを聞いた他の人は、「おなかが痛いんでは、たいへんだ。横になってなさい」と言います。でも、他の人は、ある人のおなかの痛さがどのような痛さであるかはわかりません。自分が経験をしたことをもとにして、おそらく同じような痛さに違いないと思い、いたわるわけです。このことは、前述した悲しい気持ちということにも通じます。自分は、こんなに悲しいのだから、他の人も悲しいに違いないと。確かに、人間社会においては、こうした暗黙の共通理解なるものが、存在はしているようです。逆に言えば、そうした共通理解があることが前提となって、法律や教育があり、機能しているということになります。しかし、実は、そうした感覚は、厳密に言うと一人一人違うものであり、もっと言えば、人間社会の中にある教育性、すなわち親や大人たちが、まだ認識化されていない子どもたちに対して、その経験の場面を通じて、自分たちの「痛い」とか「悲しい」とかという概念、つまりイメージを言語と一緒に潜在化させた結果なのです。子どもたちは、大人が言っている「痛い」ということが、具体的には解らないというか、大人が言う「痛い」と同じであるという確認はできないままであっても、どうやらこの状況、例えば、血が出て、自分にとっては、何かたいへんな状況のときの感覚を「痛い」というのだなと学習をするわけです。

 そこで、もし仮に、そうした感覚のことを「心」と言うのだとすれば、「心」というのは、あくまでも絶対的なものなのではなく、そういった働き一般をさすことになります。人間は、「心」という働きを持っている動物である、ということになるわけです。実は、社会の近代化は、「心」というものをこうした機能一般であるとする見方の傾向を強めさせます。「心」を個々の人間の感覚であるとしたら、人間、一人一人の「心」は、はじめから別物で、違うことが当たり前となります。このことを認めてしまうと、近代社会は成立しなくなってしまいます。簡単な話、「豊かな生活」と言ったとき、各自の「心」を満足させることが「豊かな生活」であるとしたら、様々な豊かな生活が存在してしまい、収集がつかなくなってしまいます。そこで、まさに「心」は一つというばかりに、「物質的に豊かな生活」を送れる「心」こそ、唯一の「心」であるとするのです。法律や教育の成果とは、人間のそういった働きこそが「心」であり、それに適応できる「心」を育てることこそが、「豊かな生活」であると人々に思わせることとなってしまっているのです。

 その昔、日本では、そういった「情動としての心」と「働きとしての心」を使いわけていました。特に、明治以降はより使い分けざるを得なくなっていました。「働きとしての心」のことを、「精神」と言うようになっていきました。「精神」とは、人間個々の意識の違いをさすのではなく、全員に共通してあると思われる心の働き全般をさすのです。そして、その働きとは、近代社会生活に適応するための心の働きのことです。ゆえに、近代社会の生活に適応できない人は、精神の病を持つということになってしまうわけです。現代では、より強度な近代化が進んだ結果、こういった違いを持っていた「心」と「精神」という言葉の使われ方は、ボーダーレスとなり、精神の病のことも心の病というような言い方に変わってきています。そもそも、精神の病とは、近代が作った病であるということを忘れてはいけません。本来、別段、心の病などは存在しないのです。「心」は個々違ってあたり前であり、画一的な近代の社会に全員が適応できない方が当たり前であるからです。

 日本が失っていってしまった本来の「心」の意味(一人一人が、違ってあたり前であるとする「情動としての心」の存在)を、伝え残している地域が日本の中にあります。それが沖縄です。なぜ、残ったのかということの説明は長くなってしまうので、ここではしません。言葉の解釈の話だけをすれば、「心」という言葉、ヤマトにおいては、万葉の頃からありました。かの万葉集の中でも度々「心」という言葉は使われています。万葉言葉の頃では、この「心」という言葉は、情愛だとか思いやりだとかという意味でも使われていましたが、時代が上り大和言葉になるにつれ、「精神」という意味で使われるようになっていきます。琉球にそんなヤマトの言葉が伝わり定着しだしたのが、平安の終わり、つまり万葉言葉から大和言葉へと変わる頃であったと言われています。

 そんな万葉・大和言葉を使って、書かれたと言われている琉球最初の国書である「おもろさうし」の中では、「心」という言葉があまり使われていません。文脈から推測するに、「情動としての心」という意味の言葉としては、「肝(チム・キム)」という言葉を使っています。例えば、思いやりがある人だとか、考えがしっかりしている人などのことを「肝高い人」などと表現をします。これは、おそらく当時の琉球の人たちが、ヤマトからの言葉を導入する際、もう既に「精神」という意味が多分に含まれつつあった「心」という言葉は、自分たちが知っている心の意味と違うと気がついたのではないかと推測します。そこで、あえて「心」は使わずに「肝」という言葉を導入したのではないかと推測するのです。実は、万葉・大和言葉の中にも「肝」という言葉は存在しており、その古語としての意味は、「しっかりした気持ちや考え。気力。思考力。」をさすとあります。

 現代の沖縄でも、チムという言葉は使われています。例えば、「チムドンドンする」という表現があります。意味は、ドキドキするという意味です。つまり、心臓がドンドンするときの気持ちを表す言葉です。このことからもわかるように、琉球では、「心」は胸、すなわち心臓(肝)にあるとしたのです。このことは重要です。彼らの感覚から、「心」は、脳すなわち精神ではなく、みんなが共通して味わえる身体機能としての状況、心臓がドキドキする状態のことを「心」としたわけです。これなら、「心」は全ての人にあるということになります。琉球の人たちは、ヤマトの人たちが、近代化される中で、「精神」のことを「心」としてすり替えていき、心のはたらきのこと、すなわち精神のことを、みんなに共通してある「心」であると信じきっていったのに対して、人間に共通してあるはずの「心」のことを、心臓がドキドキする、その気持ちであるとしたわけです。琉球の人たちにとっては、「心」はそもそも共通理解できるはずのものであったのです。

 話がだいぶ入り組んでしまいましたので、少し整理をします。現代において、「心」とは何かと問われると、「心」とは精神のことであるということになります。「精神」とは、脳が作り出す人間共通の働きのことをさします。特に、近代以降はその脳の働きである「精神」のことを、近代社会・資本主義社会に適応できる働きだけのこととして、限定させて意味させる傾向を強めています。一方、本来の「心」と何かと問えば、「精神」としての共通の働きだけをさすのではなく、そもそも個々の人間が持つ固有の感情をさし、共通のものではないはずでした。ただ、精神的働きという視点から見た場合は、個々の人間に共通したものではないので、人間に「心」はないということになってしまいますが、沖縄のように「心」とは、身体的機能に裏付けされる情動的感覚であるとすれば、その状況は全員が共有化することができるものとなります。すなわち、人間に「心」はあるということになるわけです。この場合の「心」のことを沖縄では、「肝」と表現しているわけです。

 「心」という言葉、そもそも「肝」と「精神」、すなわち「身体」と「脳」、「情動」と「政治(理性)」などという2つの意味からできていたのですが、「心」はあるとしたい立場の人間たちは、自然(本性)との共存が残っていた時代には、身体的共通性をもとにして「心」はあるとし、近・現代では、理性的立場から働きとしての共通項である「精神」こそが「心」であるとしたのではないでしょうか。

 まだ書き足りないことはいろいろあります。近・現代の為政者たちは、なぜ、「心」はあるとしたいのか、ある意味で、心の意味としては高見にあった意味である「肝」という意味がなぜ、沖縄には残ったのか、言葉はヤマトから琉球に伝わった流れだけなのか、琉球からヤマトへという流れはなかったのかなどなど、「心」にまつわる思索は終わりがありません。いつか1つの論文にしたいと思っています。

 最後に、漱石の「こころ」の話しを少しして終わりにしたいと思います。漱石は、おそらく、日本で言うところの「心」の意味と、近代化された西洋の人たちがいう精神という意味での「心」の意味の違いを明確に意識していたと思います。琉球で言う「肝」という意味の「心」の復活を望んで、いや、むしろ救済しようと、「こころ」を書いたような気がします。日本人が言う「心」とは、精神としては個々違い、身体としては共通のものであると。

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 10月

「選挙と真理」

 参議院で郵政改革関係の法案が否決されたと思ったら、衆議院が解散され、あっと言う間に総選挙となりました。そして、小泉首相が名付けた「郵政改革選挙」は、即日開票の結果、小泉自民党が圧勝して終わりました。

 他のところにもチョコチョコと書いたのですが、まずは今回の選挙を通して気になったことをメモ書きしたいと思います。

 選挙前の各政党の主張、特に野党の主張を聞いて思ったことは、その主張の論立ての弱さでした。前記したように、小泉さんは、今回の選挙を自ら「郵政改革選挙」であると位置づけました。彼が以前から郵政改革に固執し続けた理由は、「自民党をぶっこわす」ための改革の本丸であると位置づけていたからです。私の記憶というか理解では、約350兆円という郵貯・簡保の資金が非効率な公的セクター(特殊法人)に流れるような仕組みになっており、この流れが、自民党内の族議員や派閥の維持に寄与していることから、これを改革して政治と金の関係を断ち切り、自民党の旧体質をぶっこわすのが目的であったように記憶していました。

 それなのに、野党側は、そのことを論争上に持ち出すことができず、地方における公共サービスの低下などを中心とした、表面的な2項対立的論争に終始していました。さらに、郵政改革に反対した自民党の議員たちが、その昔、そうした派閥政治の中心にいたことも、争点をさらにぼやかした一因であったと思います。

 また、まっとうな政策論争がない中、このような雰囲気に輪をかけたのが、マスコミの報道であったと思います。彼らは、ただでさえぼやけさせられた争点を隠すがごとく、やれ二大政党制時代だとか、郵政反対派に刺客だとか騒ぎ立て、ワイドショー的選挙を演出していました。そもそも、二大政党制はよいことばかりではなく、悪いところも多々あり、そうした点の指摘もしないままに成熟した政治体制がごとくの宣伝でした。また、自民党の対抗馬と称される民主党の政策も、先にも書いたように、小泉さんが主張する政治改革の本丸としての郵政改革案に対する、有効な代案も出せていないままとなっていました。健全な争点を明確に提示できない上に、選挙の注目点は、郵政改革に反対をした議員の当落の興味ばかりに焦点をあてた報道は、まさに選挙の争点ぼかしに手を貸したと言われてもしかたがないと思います。

 次に選挙後に思った点について2、3書きます。

野党第1党であった民主党の大幅後退によって、小泉自民党が議会において、大きな力を得ることとなったわけですが、今回の選挙は、自民党が勝つとか負けるとかということではなく、新自民党、すなわち小泉自民党の完成であったと思います。自民党の旧体質が引きずっていたものを一掃し、中身を全取り替えするための最後の仕上げであったような気がしています。このことは、小泉自民党の政策実施スタイルは、旧来の自民党のやり方にはあてはまらないということを意味しています。そうした新しい体質の上での衆議院における、議席数の3分2以上の獲得であるということ忘れてはいけません。以前の自民党であれば、同じ自民党の中にも、1つの政策に対して、温度差があることはあたり前で、行きすぎた結論が出そうなときは、自主的にブレーキがかかったりしていました。しかし、今後は、おそろらく党内で決まったことは、全員一致で実行されるようになるのだと思います。ある意味では、政党らしく統一的なイデオロギーによって、統率された1枚岩の集団となるのであろうと思われます。そこで、憲法にある議会の運営に関する議席数3分の2の意味を紹介しておきます。

【第55条】資格争訟の裁判

 両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

【第57条】会議の公開、会議録、表決の記載

@ 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

【第58条】役員の選任、議院規則・懲罰

A 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

【第59条】法律案の議決、衆議院の優越

A 衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

【第96条】改正の手続、その公布
@ この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 上記したような、相当な力を与党に国民は付託をしたということになるわけです。権利を行使した結果の義務とでも言いましょうか、大きな力を与えた以上国民は、最後まで、きちんと監督するという義務が発生するわけです。民主主義というシステムは、国民にとって不利益なことを自動的に除去してくれるシステムではありません。当たり前の話ではありますが、民主主義というシステムを選択している各国民が、自分の意志で運用しなければいけないわけです。資本主義はオートマティックかもしれませんが、民主主義は、国民自らが、義務と責任を果たさなければ機能しないシステムです。

 2番目としては、前述したような点を念頭に入れて見た選挙投票率のことです。

 今回の投票率は、国政選挙としては久しぶりに高率を示しました。確かな統計がまだないのですが、報道によりますと、若い世代の人たちの参加が、投票率を押し上げたそうです。そして、その多くの人が、小泉自民党に票を投じたそうです。このことをどう見るべきでしょうか。善意な目で見れば、「自分たちの将来に関することを明確に主張している小泉自民党に一票を投じたわけなので、若者たちの選挙意識が向上している表れである」と見ることができます。この見方でよいのでしょうか。例えば、小泉さんが言うところの「改革」、これは、最終的には、何をどうする改革なのでしょうか。その昔、「改革」と言えば、それは社会観の改革のことをさしました。社会観の改革とは、価値観の改革をさします。とすれば、小泉さんは、市場経済主義の改革、すなわち貨幣を価値基準とした経済発展至上主義の改革を目指しているということなのでしょうか。おそらく違うと思います。あくまでも、軸足は、市場経済のさらなる発展に置かれているのだと思います。彼の言う改革とは、さらなる強化、より強化しやすい環境にするための改革であるはずです。

 こうした意図的に演出された、市場経済主義というテーブル上での2項対立的な様相であるということ。この構造を見ずして、多くの若者たちが、「改革」という言葉に踊らされて、そこに自分たちの未来に物質的なしあわせがあると思い込んでいるのだとすれば、少々、薄ら寒いものを感じます。「目覚めなさい!」、んっ、どこかで聞いた言葉ですが、若者たちは、もっと自分の本性を信じて行動をしてもよいのではないかと思います。本当の改革とは、自分の中に巣くっている、適応しなくてはいけないというオートマティックな意識の変革なのかもしれません。

 そして、最後に、今までに書いたことをまとめる意味で、あえて核心的感想を言えば、「民主主義社会の真理は、選挙によって作られる」ということです。この感想は、自戒の意味を込めています。選挙によって、ある政党が多数派となることは、たとえその政党の得票率が50%近くを占め、議席の過半数以上をとったとしても、日本の人口比から言えば、25%程度でしかありません。しかし、選挙によって議席の過半数、ましてや3分の2を占めれば、日本人の25%程度の人たちを代表する政党の政策が、社会の価値基準の1つとして機能するということになります。国民は、こうしたシステムの特徴をちゃんと知っておくべきだと思います。こんなこと言うと、そうした結果として、価値観が偏らないように、三権分立で司法などがあるのではないかと言われそうですが、最近の靖国訴訟などをはじめとする、憲法等にかかわるような訴訟に対する最高裁などの判決をみるかぎりでは、「国益」という判断基準により多くの判決が下されているわけです。「国益」とは、まさに形式的には近代以降、日本の選挙の結果によって、民意を反映し、その都度政治的に判断をしてきた政策の集積結果であると言えるでしょう。私にとっては、そんな社会の「真理」と、どうつき合うのか、よくよく考えさせられた選挙でした。

 当然の事ながら、有権者には20歳未満の若者たちは、含まれていません。彼らの未来は、成人の者が責任を持って判断するということです。

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 11月

  「靖国問題」

 プロ野球の優勝チームも決まり、年の瀬が気になりはじめました。

枯れ葉舞う季節が近づく中、小泉さんは、また靖国神社へ参拝に行ったそうです。私には、その真意がよくわかりません。単純に考えて、近代日本が行ってきた戦争によって亡くなった方々の霊を、慰めるために行っているのだとしましょう。

 靖国神社に祀られている人は、近代日本が行った戦争で亡くなった、軍人・軍属、準軍属の人たちで、そこに一般市民は含まれません(沖縄の問題などが関係しますが、その話は別の機会に)。それが解っていて、あえて靖国神社へ行っているのだとすれば、小泉さんの理解は、国の発展のために尽くし亡くなった人というのは、軍人・軍属、準軍属の人たちだけであるということになります。

 もし、仮に国の発展にために犠牲になった人たちを慰霊したいのであれば、何も靖国神社だけに固執する必要はないからです。このことから考えて、彼の意識は、戦争で亡くなった軍人・軍属、準軍属の人たちこそ、国の礎を担った尊い人たちであるというものなのでしょう。確かに、国家というものを、国家があるからこそ、国民の生活が成立するのだという立場に立つのであれば、そうした意識は当然であると思われます。いわゆる民族国家的な考え方の基礎となるものです。自分たちの民族の共存共栄を目指すためには、軍事的行動も辞さないという立場を取らざるをえないからです。

 国家の発展のためには、軍事的行動を取らざるをえない。つまり、戦争は国家の発展のためには、必要不可欠なものであるということになります。戦争が国家発展のためには必然ということになると、戦争によって発生する死者、とくに軍関係の犠牲者は、想定される範囲内の話であるということになるわけです。

 このことは、2つの意味を持ちます。1つは、国家が発展を目指す以上は、軍関係者の犠牲はつきものであるから、その際は国家の英霊として、手厚く葬らなければならないこと。そして、もう1つは、国家の発展のためには、軍事的な行動は不可欠であるから、国家のために死ぬことが、国民としてたいへん意義があるとする価値観を確立しておかなければならないということ。つまり、「国のために死ねること」と、「国のために死ぬことは、立派なこと」であるという意識の国民への定着が前提となっているということです。

 おそらく、小泉さんの意識の中では、そうしたことが当たり前の前提としてあるのでしょう。彼の意識からしたら、日本国民である以上、なぜ、そうした意識を国民が持てないのか、持っていないのかが、逆に理解できないのかもしれません。しかし、この前提は、ちょっとおかしいことに気がつきます。

 1つには、「国家の発展=人間のしあわせ」なのでしょうか。さらに、太平洋戦争を経験した日本人からすれば、戦後の日本の発展は、彼らが死んでくれたおかげであると、特に、彼らのご家族の方々などが、心から思っているでしょうか。ここでいう「国家の発展」とは、言うまでもなく、経済的発展のことをさします。結論を簡単に言えば、国家の経済的発展は、かならずしも、人間のしあわせを保証するものではないという事実です。

 また、別の角度からの話をすれば、戦後日本の経済発展は、軍事的な行動によって支えられたわけではなく、むしろ逆で、軍事的な行動や、行動に巻き込まれなかったからこそ達成できた経済的発展であったと理解するべきです。こんなことを言うと、「戦後の日本は、アメリカによる軍事力の傘の下に入っていたがゆえに、自らは軍事的な犠牲を出さずに済んだんだ」という主張が出てくることでしょう。これも少しおかしな話です。アメリカが軍事力を行使する目的は、あくまでもアメリカに利益があるときだけです。当然な話ですが、アメリカ軍を動かす主体は、アメリカにあります。実際、戦後60年の中で、日本が日本の利益を侵害されるような形で、軍事的な脅威にさらされ、日本の利益を守るためにアメリカ軍が出動した事例があるでしょうか。アメリカ軍は、アメリカのためだけに動く、これが実際です。

 するとさらに、「だからこそ自分の国の利益を守るために、自前の軍事力が必要なのだ」と言うが声が聞こえてきそうですが、今や、軍事力では国の利益を守ることができない時代であるということを、知るべきだと思います。

 少々厳しい言い方になってしまいますが、小泉さんが考えているような国家観では、さらなる経済的発展さえも、これからは、おぼつかないということです。百歩譲って、国民のしあわせの主なものは、経済的発展に支えられた豊かな生活にあるとしましょう。すると事態は、さらに明確になります。今や、地球上における経済的豊かさを支えているのは、日本とか、アメリカとかという一国が支えているものではないという事実です。それこそ、グローバル化しているわけで、地球上の各国が支え合わなければ、発展などできない状況になっているわけです。ゆえに、国の経済的発展という面から考えてみたとしても、小泉さんが行っている行為は、一国大国主義を目指していることを宣言しているようなもので、政治的手法としても頂けないやり方と言えるでしょう。小泉さんが、本当に国民のための政治をすることを第一に考えているのだとすれば、直ちに靖国神社参拝をやめるべきだと思います。どうしても行きたいのであれば、政治界を引退して私人となってから、毎日でも行けばよいと思います。

 その昔、日本は、自分たちだけの繁栄発展を目的とした行為だったにもかかわらず、アジア全体の発展のためであると偽って行動をし、失敗をしました。結果、アジア中のあらゆる層の人たちに、多大な犠牲を負わせました。この失敗に学ばなければいけないと思います。あえて言えば、その失敗を忘れてはいけない逆説的なメモリアルの1つが、靖国神社であると思うわけです。小泉さんが行っている行為は、まさにその逆の行為で、時代を逆行させ、失敗した戦前の政治を現代の政治の中に復活させるものでしかありません。戦後民主主義政治の目標が、経済的に豊かになることも含めて、国民のしあわせを実現することが目標なのだとすれば、アジアの各国に対して、共存をしていこうとする意志があるということを明確に伝えることだと思います。小泉さんの靖国神社参拝は、こうした政治的姿勢から見ても明らかに真逆な行為であり、一国の首相が行うべき行為ではないことは明白です。

 この他、靖国の問題については、回収装置としての問題や、援護法との関係などについても、話たかったのですが、次の機会にします。

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 12月

  「日本の安全保障とは」

 安全保障の問題を論ずるのは、相当な準備が必要です。
 したがって、そうは簡単に、この問題を話すことはできません。
 でも、小泉さんが言ったという一つの言葉によって、何か言っておかなければいけないと強く思いました。

 彼が、言ったという言葉は、米軍の再編に絡んでの発言です。皆さんもよく知っているかとは思いますが、最近の米軍再編問題に関係して、日本にいる米軍の配置が、変わろうとしています。なかでも、在日米軍基地の75%がある沖縄県では、以前からの動きとも関連して、新たな動きがあるようです。

 もう既に何度か紹介をしている沖縄普天間基地の移設問題、昨年には、普天間基地に隣接をしている大学の構内に、ヘリコプターが墜落し、大惨事となるところでした。そもそも、この普天間基地の移設問題は、非常に危険な存在であるがゆえに、県外か国外へ移設をするというものであったのですが、受け入れ先がなかったため、沖縄島中東部にある、辺野古海岸の沖に人工の島をつくり移設するという案になってしまいました。そこは、先祖代々、海を生活の場とする人々が住んでいると同時に、ジュゴンをはじめとする貴重な動植物の生息地でもありました。地元のオジーやオバーたちの体を張った抵抗もあり、移設は遅々として進みませんでした。新しい基地はいらない、むしろ、沖縄から基地をなくしてほしいとする沖縄県民の希望からすれば、あたりまえのことです。

 そんな、なかなか進まない移設工事に対して、我慢ができなくなった政府は、米軍再編の動きに合わせ、日米政府間において、普天間基地の移設先は、進まない沖合案ではなく、陸上と一部海上という代案で決着をつけようとしています。なぜ、日米政府は、普天間基地の移設先を沖縄県内に、それも急いでしようとしているのか、その思惑の理由については、ここでは説明をしませんが、ともかく、地元の人たちには、一切の相談・説明なしに、移設計画の変更を発表しました。

 こうした政府の決定に対して、沖縄県をはじめ、米軍再編にともない新たな兵力を受け入れることになる神奈川県などが一斉に反発をしています。当然と言えば、当然です。各自治体は、既に、米軍基地があることによって、何らかの住民に対する不利益さが発生しているからです。そんな各自治体や住民の反対の声に対して、小泉さんは、「平和の維持、安定の代価としてしょうがないことだ」というようなことを言ったそうです。

 この言葉だけを聞けば、平和を維持するための代価として、一部の国民の生活が侵害されるのはしかたがないことで、みんなの平和のために我慢しなさいと言っているように聞こえます。さらに言えば、日本の平和は、アメリカ軍によって維持・安定しているとも聞こえます。彼のいう、アメリカ軍、つまり軍事力によって、維持・安定している平和とは、どのような平和のことをさしているのでしょうか?

 平和の問題を話だすと、また長くなってしまうので、今回は、安全保障の問題だけにしぼります。これらの問題は、政府から言わせれば、日本の安全保障の問題であるということになります。安全保障とは、字の意味だけで言えば、「他国からの攻撃・侵略を防ぐこと」ということになります。日本は、他国からの攻撃や侵略をアメリカ軍によって守ってもらっているのだから、アメリカ軍に協力するのはあたりまえである、という立場になっています。それが、いやなら、再軍備をして、自前の軍隊で守れという話だと思います。しかし、この安全保障の考え方は、ちょっと不思議な点があります。それは、国の安全は、他国の軍事的な攻撃・侵略によって脅かされるという前提に立っているところです。つまり、国は、他国から、いつかは、攻撃・侵略される可能性があるという考え方を前提にしているのです。

 簡単に言えば、日本が発展をし、その発展に基づく平和は、他国から攻撃・侵略されるかもしれないということが、前提にあり、それを防ぐためには、軍事力が不可欠であるということです。どうやら、日本政府は、外交などによる安全保障政策だけでは、攻撃・侵略を受けることは防ぎようがないと考えているようです。小泉さんのこの発言後行われたAPECでの、さらなる小泉さんの発言を聞き、より一層、安全保障に対する政府の姿勢がはっきりしました。靖国問題で、中国・韓国などが非難されている彼は、会場で、さらに、「アジアの平和・発展のためには、日米関係の安定こそが大事だ」というようなことを発言していたからです。

 この発言を聞くまでは、私としては、何だかんだといっても、小泉さんは、アジアの国々との関係を重視していくに違いないと思っていました。しかし、この発言をはじめ、靖国問題への反省が一切ないことから、彼にとっては、日米同盟の強化こそが、最優先課題であり、アジアの他国との関係調節は、政府が中心となるのではなく、企業や市民による民間による関係構築だけで十分だと考えているように思えました。なぜ、そこまで割り切るというのか、単純に考えることができるのと考えてみました。

 それには、世界の経済的な流れを考えなければなりません。いわゆる近・現代において、発展をするという意味や、発展をした国というのは、先進的な資本主義国のことをさします。彼らにとって発展とは、資本主義のさらなる発展をめざすことです。そのために、各国は、様々な政策を実施してきました。しかし、近年、資本主義国のさらなる発展のために不可欠な、新しい市場はなくなりつつあります。したがって、安定的な発展を確保・維持するためには、例えば、ヨーロッパなどは、一つの共同体となることによって、未来を確保しようとしています。昔でいうところのブロック経済的な動きは、地球の各地で推進されていくと思われます。アジアにおいても同様で、APECなどの動きをみれば明らかなように、中国など中心として、アジア全体で発展のために協力をしていこうと動いているように見えます。ですから、本来であれば、アジアの一員である日本は、より一層、アジアの他国と協力・友好関係を築いていかなくてはいけないのに、小泉さんは、その方向に背を向けているように見えます。

 アメリカは、今、急速に発展をし、アジアの中心国となろうとしている中国の未来に対して、相当に警戒をしているように感じます。ある意味で、アメリカと近い発想を持っている国であるがゆえに、その未来の姿に対して、大国ならでは、恐怖を感じているのかもしれません。そうなると、アメリカにとっては、将来の備えとしては、日本は、アジアの諸国からは、多少距離をとってもらっていたほうが都合がよいことになります。その思惑と、まさに一致をするような小泉さんの言動です。そんな将来のことを見越して、厳しい言い方になりますが、アメリカとしては、東アジアに対する番犬的な位置づけとして、日本がいてくれることほどありがたいことはないと思います。おそらく、そんな思いがあるからこその、米軍と自衛隊の協力強化をも視野に入れた米軍再編なのだと思います。

 そこまでして、アメリカに追随する小泉さんの気持ちは、一体何なのでしょうか。アジアの関係よりも、日米同盟を強化することの方が、国民のためになると思っているからこその判断でしょう。その裏付けのヒントは、数字にありそうです。今、世界の総生産は、日本とアメリカを合わせると、世界の40%を超えます。実は、日米同盟は、現在の世界の中では、EUであれ、今後伸びるであろうアジアの経済協力体であれ、そう簡単には追いつくことができない、経済的・軍事的な世界最強のタッグなのです。過激な言い方をすれば、日米がタッグを組んでいるかぎりは、世界最強のチームであり続けるのです。世界で1番のやつと組む、世界最強であり続ければ、日本の経済的な発展は保証されると見込んでいるように感じます。日米の関係さえ強固に維持できれば、世界の中で、今後も確実に発展していくことが保証されるはずであると考えているのではないでしょうか。となれば、アジア諸国との友好的な関係で経済関係を構築していくよりは、いざというときは、強力な力となるアメリカの軍事力の傘の下にいた方が安全であると考えているのではないでしょうか。将来、経済的な摩擦などによって、中国などと衝突したときなどは、その方がより有効であると判断しているのではないでしょうか。

 本当にそれでいいのでしょうか。アメリカの過去の他国に対する政策を見れば見るほど、不安はつのります。例えば、アメリカの中東政策の歴史などは、相当に参考になります。アメリカは、自国にとって、うまみがなくなれば、いとも簡単に政策変更をしてきました。中東において、アメリカの番犬として利用された国は、目まぐるしく変わってきました。金の切れ目が縁の切れ目みたいな話にならなければいいですけれど。ご近所さんと仲良くやっていった方が、平和でいられると思うのですが、多少、お金が入らなくたって、その方が、心が穏やかで安心です。

 私の場合は、何度も言っていますけれど、金の縁より、義理と人情のつながりの方が、まさに私にとっての安全保障です。

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