卒業生、父母からのメッセージ


風の学園に学んで

99年度卒業生

佐々木 透

 第1回となるこの卒業式に卒業生として参加できることを大変うれしく思います。在校生のみなさんは、自分の「社会的存在意識」と言うものを考えてみたことがあるでしょうか。この学園の性質を踏まえると、おそらく考えてみた事のある人の数はかなり多いと思います。では、その答えは出たでしょうか。私も以前自分で考えてみた事はあるのですが、結局その答えは出ず、考えは漠然とした不安に駆られると言う事を何度も繰り返しました。とりあえず言える事は、それは多くの人全日制の高校の生徒だろうが、自分の社会的存在意識の客観的な証明など、出来る人は限られているのです。
 先日、ある新聞記者の方と話をする機会を得ました。そしてその2時間ほどの話の中で、自分の置かれている立場と言うものに気付かされたのです。 それは、自分は年々増え続ける高校生中退者の一人であると同時に、この学園への入学を選び、そして努力する事で自分の望む道 へ進もうとしている、と。
 つまり、自分は不登校者及び高校中退者などの将来への可能性を、多少なりとも示すことが出来たのではないだろうか、という事に気付いたのです。 もっとも、大学に進学すると言うその事自体を評価するのはあまり望ましい事ではありません。大切なのは、大学で何を学び何を成したかという事です。となると、大学に合格しただけの私はまだ大した事を成した訳ではない、と言う事になり、私が後輩たちへ将来の可能性を示すには、私の大学でのある程度の実績が必要だ、と言う事になると思います。


97年度前期生

湊 舞子

 入った最初の頃は今までの学校とぜんぜん違うなぁ、と思った。すごく自由だし、生徒をすごく信頼してくれていると思う。でも自由だと、自分で考えて行動しなくちゃいけないから大変だと思うこともけっこうある。特に毎日の記録は、勉強になったと思うことがあってもそれを科目にあてはめたり、文章にするのがすごく難しい。でも自分の好きなこともできるし、自分で考えていろいろやれるのはすごく楽しいしうれしい。学園に入ってからは今までより勉強したと感じられることが増えたような気がする。


96年度前期生
父母

熊川 久美子

 学園での3年間で、娘は信じられないほど行動範囲を広げてきました。娘の個性を認め支えてくれるスタッフや友達に出会えたからこそ、そして不登校になって以来の不安と混乱に満ちた歳月を生きたからこそ、はばたけたのだと思います。どちらの要素が欠けても今の姿は実現しなかったでしょう。あくまで娘の意志と選択で豊かな経験を積み重ねた3年間に出会えたのは親として大きな喜びです。我が子の育ってゆく姿を何かに追いたてられることなくじっくり見つめられて、私自身の人生も豊かになりました。


97年度前期生

永田 明子

 私は、合計しても中学に1年程しか通っていません。でも、従来の学校に合わなかった訳ではく、むしろ勉強が好きで毎日喜んで通っていました。特に、小学校の先生と相性が悪くて成績もパッとしなかったのが、進学して急に勉強が面白くなり始めた事もあって、どの教科も面白かったのです。それが、1年の文化祭が終わった直後に、一番仲の良かった友達からのいじめで、人と会う事が恐くなり、最終的には行くのを止めました。学校へ行かない事自体は気になりませんでしたが、勉強を一人で進める事が難かしくて、遅れ出した事がまず最初に困りました。勉強を教えてくれるフリースクールはなかったし、塾は人がいるので行かれませんでした。学校へ行かない事は良かったのですが、勉強は負けたくなかったのに、レールから外れた途端、どこも勉強を教えてくれない事が解り落ち込んで、何にでも消極的になってしまいました。結局何も出来きずに、中学を卒業して、このままだとずるずる時間だけが経ってしまうと思い、一番合っていると思った、この高校へ入学しました。
 それでまず始めたのは選択教科からでした。1年前から始めた畑仕事と犬の訓練を登録して、その他の選択教科と一緒に主にそれらを消化して行きました。畑仕事は、隣近所の畑の人に聞いたり、自分で調べながら進めた、普通の作業の他にも、パソコンの練習も兼ねた、作物の種類毎の年間計画表作りや、アブラ虫対策に害虫の嫌いな色や材質、ハーブや、薬を試して作った実験結果を表に打ち込みました。その他にも耕運機を一人で動かせられる様に練習したり、私の背よりも高い本格的なハウスを作ったり、長野でですが、スイカも作る事に成功しました。犬の訓練の方は、月二回のボランティアによる訓練教室に通って腕を磨き、保健所が発行しているインストラクターの資格も取って、訓練の指導も始めました。私の場合、訓練教室で、まだ高校生と言う事だけで既に相手にされない事が良くありましたので、いかに相手に自分の実力を解って貰うかを常に考えて喋らなくてはいけません。端から話を聞いてない人も始めは沢山いました。何頭も見ていれば、犬の方の性格はすぐ掴めたり、対応も浮かぶ様になりますが、いかに上手く飼い主を説得するかが一番重要な事だったりして、犬ではなくて人とやり合っていることの方が多かったりしました。その為、どんな質問が出てきても良い様に、アメリカ・ヨーロッパの訓練の本を読んだり、JKCと警察犬協会主催の大会に出場して自分に拍を付けたりもしました。
 そんな感じでまずは選択教科から学習は始まりました。2年目には、1年目で地ならししができたので、フィールドワークにも参加して、沖縄に渡りました。3日間でも、私にとってはとても緊張しましたが、とても内容の濃い体験でした。初日と最終日は、沖縄全土をバスで行ったり来たりしながら、ガイドの方から沖縄戦についてをみっちり学びます。それも、記念館だけを見て回るのではなく、実際に住民や兵士が隠れ住んでいた、壕と呼ばれる洞窟の中に入って、その中で話を聞きます。中は暗いと聞いていたのに、実際に入ると本当に光が全く届かない暗闇になってしまったので驚きました。話を聞いていても、現地に行って実際に目にしてみなくては、結局自分の想像にとどまらせてしまっているのだと思い、こういう所が教科書だけでは分からない部分だと思いいます。それは、初めて本物の兵士や爆弾によって荒らされた山を見た時も感じました。当事者から直に端に聞くのは、本で読むのとは違う迫力があります。沖縄戦の話はとてもショッキングな話が多かったので、家に帰ってから学習記録に書こうと思っても、なかなか文字に書き出せなかったりしました。その沖縄についての話は、去年の学習報告会で「沖縄の経済」として発表をする機会があり、経済の話へも繋がらせる事が出来ました。
 3年目は、フィールドワーク沖縄は行きませんでした。本当は、前の年のフィールドワークで、幾つかやり残した事があったので、心残りがあって、行きたかったのですが、大検に挑戦したかったのです。始めの2年間を選択教科中心で学習して来てしまった事と、今まで何度も必修教科の学習を、続けられずにいた事とで、今度は必修教科を勉強するきっかけが欲しかった為です。4月に思い立ったので、4ヶ月間で中学2年生〜高校卒業まで勉強しなくてはいけません。大検の勉強を専門に教えてくれる学校があったので、そこへ片道2時間半掛けて週1回以上のペースで通いました。半分受かれば良と思っていましたが、全教科受かる事が出来ました。これをきっかけに、やっと必修教科も面白くなったし、自信がつきました。大検が受かってからも、まだ大分単位が残っていたので、今度は逆に必修教科を一気進めだしました。また、独りでの勉強に逆戻りしましたが、前だったらイライラしていた事も、2倍3倍かかってしまいますが、じわじわ攻め直したりしながら、ちょっとずつ進めていかれました。
 この時は、なかなか進まなくても、マイペースでいいんだ、と言う風に思える様になり、ペースを掴めた為、興味を持って楽しんで続ける事が出来ました。ただし、私の場合、必修教科が面白く思える様になったのが遅かったので、随分単位を溜めた形にしてしまい、その点はそれなりに苦労する事になりましたが…。
 それで、今は行きたい大学に何とか受かり、大学から早速出た宿題をずっとやっています。まだ、卒業テストも終わっていないので、全然ゆっくりできなくて、毎日バタバタしている状態です。大変だけど、やりがいは感じています。風に入るまでは、ただただ与えられた課題をこなしていましたが、それはそれで私には合っていました。でも自分のことを全く考えずに過ごしてしまう所でした。自分で自分のやりたいことを見つけて、それを実行出来る事や、中学の頃と違って、色々な事に興味を持ち、それらが必要なことだと認識できるようになった事は、とても大切な事だと思います。でもこれらが出来る様になり始めたのは、最近の話で、まだまだ十分ではありません。
 4月から、また新しい環境で学習を始めますが、学力的な面は勿論、今言った事や独り暮らしをきちんとすること、「風」で養った感覚を伸ばしていく事等も大切にしていきたいです。


97年度前期生

石塚 祐三

 私の入学した高校「風」には、フィールドワークという、総合学習の授業があります。その授業とは、沖縄やドイツ、ポーランドへ長期滞在をし、生活者の視点から見た、その地域にある文化、歴史、生活、言語などを学ぶ総合学習プログラムです。私は、そのプログラムに参加し、様々なことを得ることが出来ました。たとえば許容力、包容力、生活力等がそれにあたります。許容力と包容力については、中学のときまでは同じ系統の友達関係がほとんどでしたが、高校に入ってフィールドワークに参加するとさまざまな人が一つの場所で共に何日も生活するのです。最初の頃は、なかなかその人が持っている個性を受け入れることができなかったのに、日が経つにつれて、その人のものの見方や人生観、性格などを受け入れることができるようになったのです。こうした経験をつんでいった結果、いままではつきあいにくかった人とも色々共有化できる力を身につけることができました。そして普段の自分の生活からはなれ、沖縄やヨーロッパで生活していくことによって、いままでに考え、悩んでいた人間関係、価値観、常識などがとてもちっぽけに思いました。
 そうした中で物事にこだわらない包容力が身につけていくことができたのです。自炊などの生活力については、フィールドワークを通して自立的な生活をすることで、当たり前と言えば当たり前なのですが、自分がやらないと、誰もやってはくれないという状況の中で、たよれるのは自分だけという気持ちになり、なんでも自分から進んでするようになって自然に身についていくことができました。
 しかし、この3つの力にしてもまだまだ未熟だと思うので、今後の学習活動を通じて力を養っていきたいと思っています。高校時代につちかったフィールドワーク的な学習についてもこれからも大いに行い、おかげさまで大学にも進学することができましたので、専攻の心理学や精神分析学などの人の心に関係する学習などもより深く行いたいと思っています。そんな学びが継続できることを楽しみにしています。


97年度前期生

岩崎 悦子

 この学園に入学して早いものでもう3年以上経ってしまいました。本当にあっという間でした。
入学当初、何がなんだかわからずパソコンに対してもあまり興味がなかったので、メ−ルのやりとりをするのにも一苦労 でした。勉強のやり方も任されるされればされるほど、かえって私は悩んでしまいました。 この3年間、ちょくちょく学園の授業には参加していましたが、私は週5日働きながらの学びだったので、フィ−ルドワ−ク にはなかなか参加できませんでした。唯一、去年の沖縄のフィ−ルドワ−クに参加しました。本当は、在学中にもっともっと色々フィ−ルドワ−クなども活用して、たくさんの経験ができればよかったのですが仕事をくびになるのも困るので、それもなかなか思うようにはいきませんでした。

 この学園に入学して、自分とはずいぶん年の離れた友人ができた事は私の人生の財産になりました。すごく年の差があるのに友達になれたのが、そしてあまり違和感を感じなかったのが不思議です。

 風の学園のいい所は、フィ−ルドワ−クが色々取り揃っていて外国にも出かけられるし、たくさんの経験ができる事と普通の学校に通っていたら出会えないような人とも出会える所だと思います。 又、換さんスタッフの河合さんなど2人ともとても楽しい人達なので新入生のみなさんもたくさんおしゃべりしてみると楽しいと思います。

 私はまだこれからの自分の歩む道はぼんやりとしている所もありますが、どちらかとゆうとぼーっとしているほうなのであせらずゆっくりマイペ−スで歩んで行こうと思っています。 換さん、スタッフの方々色々お世話になりました。楽しい思い出をたくさんありがとうございました。そして、これか らもどうぞよろしくお願いします。

98年度前期生

湯山 蓉子
 私の学園生活は、時間の流れがとても速いものでした。
 最初の半年は学校イベントにも参加し、それなりの学生生活だったと思います。しかしそれ以降は、回りの誰もが学生だという事を忘れ去るような日々を送りました。

 自営業の印刷会社がアナログのモノクロ印刷からデジタルフルカラー印刷へと拡大して行くその先頭に立って、機械の増設導入の検討から印刷機のオペレーターまで行いました。 印刷機といってもさまざまですが、私が広島まで研修に行きオペレートした機械は、全長15メートルの、5色インラインコーティングの最新鋭大型機でした。通常のフルカラー印刷は4色ですが、さらに1色と水性ニスの加工までを瞬時に行ってしまう、非常に優れた機械です。使用する紙も菊半裁という大判サイズで、女性が扱うのは無理だというのが一般的な常識でした。 持ち前の根性でその紙の扱いはもちろん、前代未聞のその大型印刷機の女性オペレーター、そしておそらく最年少のオペレーターになった訳ですが、その設備の導入は非常に困難なものでした。カラーとは無縁だったうちの会社は、知識が皆無だったのです。カラー印刷が4色で刷られている事はもちろん、カラーデータの製作を行う事すら検討がつきませんでした。 ウィンドウズも、マッキントッシュも誰も知りません。印刷機製造メーカーのサンプルを見ても、『この印刷物は、adobePostScript3で展開されています』等といった、基準となる言葉がさっぱり理解できない状態でした。

 そんな時に、「あ、私解る!」といって先頭に立って技術的な話し合いと検討が出来たのは、意外なところで得た知識が活用出来たからでした。以前私は自費出版の同人誌を製作していました。その際に、原稿を作る。印刷会社への発注内容の仕様を決める。クレームのやりとりを行うといった事で得ていた知識が、ほぼ全て活用できたのです。 当時、家族からの風当たりは非常に強いものでした。特に、印刷会社の社長をしている祖母からは、漫画書きなんてくだらないと馬鹿にされ無駄だと反対されていましたが、そんな無駄な行いがここでその祖母への最大のサポートが出来たのです。

 学園入学当時、柳下先生より「寝ている時間以外は全て勉強だ」と、伺った記憶があります。まさにその通りだな、とその時実感いたしました。

 それからはずっと会社の中に入り、印刷を行ったり、時には経営側として議論をしたりといった日々を送ってきました。 そんなバリバリの社会人のような日々を過ごしていても、理解をし見守ってくださり、尚且つ卒業という資格を与えてくださったこの学園は、まだ一般的には異色ではあるけれど、私にとってどんな学校よりも充実した意味のある学生生活を与えてくれたと思います。 有り難うございました。


98年度後期生

中村 幸雄
父母
柳下先生
山口の中村です、アメリカからも卒業証書
とどいております、、、、、、♪
なにからなにまで、、おせわになりました
感謝 感謝X1000000000000000000。
この証書のおかげで、むすこ、幸雄のこれからの人生にはかりしれない自信と本人のはげみになりますでしょう。
また卒業式には、大変あたたかなお言葉をありがとうございました。
関係される方々のご配慮、感謝、かんしゃです。私も一生思い出に残りますでしょう。
この学校がいつまでも続くことを心からおいのりしています。
まだ全国には多くの生徒がこの学校のことを知らないでおられるとおもいます。
今後とも、繁栄されることを願ってやみません。
本当にありがとうごだいました。ペコリ。
                                       幸雄のおやじ

99年度後期生

高橋 結実子
 私が風の学園に入って、この3年間を振り返ってみると、常にマイペースでやってこれたうえに色々なことを吸収出来、 しかも、今はまだ実感の出来ていないことを、沢山学べたように思います。これはきっと、これから先の未来の私に多くの意味をもたらしているのだろうと、予言者のように悟っております。とはいえ、学園に入学当初の頃は、やり方がつかめず、なんだかぼんやりとした感覚のままスタートしていました。丁度その頃は今まで熱中していたことに全くのめり込めず、人生で初めての「退屈」という壁にぶち当たった時でもありました。これは、私にとってはかなり辛いものであり、何もしたいことがなく、ただただ、うねるような長たらしい時間の中で「自主的にしなくてはいけないこと」のみを課題として存在していた学習記録は、ぐんにゃりとしていた私の気持ちを少しずつ固め、奮い立たせていってくれたように思います。次第に自分なりのやり方を見つけ、記録を書くことが日常生活の一部になるのには、そう時間がかからなかったようにも思います。

 もちろん、風の学園だけではなく、この学園に在学中に出会った人々、起こった出来事などを通して、自分自身の心と気持ちで感じ、考えてきたことも数多くあります。それは、この年数を通して、今の私を存在させているのだろうなぁと、しみじみ思います。ひねくれ者で、天邪鬼、人と触れ合うことを極端に煩わしく感じていた私ではありましたが、それも、今では少しましになったかな?と思っています。

 学園のことが一段落ついた今では、新たなる目標として自動車免許取得、自分の手作り作品をコンテストに応募してみようなど、今までの私では考えられないようなことを実践しています。まだまだ成長しきれていない部分は多々ありますが、自分の芯の部分を崩さないように、ゆったりと進んでいきたいと思っています。

2000年度前期生

梅原 達也
  卒業するから終わりではなく、これからも継続していく事が大切だと思います。
 また、風の学園で学んだことをこれからの人生で活かしていきたいです。