F  I E  L  D W O R K
    緊急報告!「沖縄国際大学に米軍ヘリコプター墜落する!!」
 フィールドワーク報告の途中ではありますが、本日、2004年8月13日(金)14時15分頃、沖縄県宜野湾市にある沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落炎上しました。ちょうど那覇に滞在中であった筆者は、現場へ急行しました。本日は緊急企画ではありますが、予定を変更して、本日のドキュメントをお送りします。

 沖縄国際大学という大学は、沖縄中部にある普天間基地に隣接して建っている大学です。この普天間基地は、沖縄県宜野湾市という市街地の真ん中に敷設をされ、海兵隊のヘリコプター基地として、第36海兵航空群が司令部をおき使用している飛行場基地です。基地の規模は、全長2800m、幅46mの滑走路を持ち、主に攻撃型ヘリならびに輸送型ヘリの訓練基地として知られています。今回墜落をしたヘリコプターは、大型輸送ヘリのCH53型であったと思われます。そもそも、あまりにも市街地地域に隣接をしている本基地は、非常に危険なため1996年に発表されたSACO合意では、代替地を条件に返還されることが決まっていました。その代替地案が辺野古沖なのです。代替基地の問題は別の機会に話すとして、ともかく、米軍が認めるほどの危険度の高い基地であった普天間基地において、その隣接地域における多くの事故の教訓から、さらなる重大事故の発生が日頃より懸念されていました。


 14時22分、第一報が入る。
 那覇で打ち合わせをしていた筆者の携帯電話に留守電が入りました。沖縄国際大学の近隣に住む友人から、「大学構内にヘリが墜落して、黒煙を上げている」という内容でした。とにかく現場へと思い、打ち合わせを中断し、沖縄国際大学へと車で向かいました。
 車のラジオからは、大学周辺は交通規制が敷かれているので迂回をするようにと告げています。断続的に流れてくるラジオからのニュースでは、大学の建物にヘリコプターが激突した模様だと告げています。15時少し前、全国にも臨時ニュースが流れたようです。私の携帯電話に各地の友人から問い合わせの電話が入りだします。大学周辺に近づくにつれ、車の渋滞が始まっていました。大学の直ぐ下の交差点は、私たちの目の前で白バイにより閉鎖をされてしまいました。迂回をして路地へと入りました。報道関係の車両も後を追ってきます。人も多くなり、車で近づくのが難しくなってきました。車を降りて徒歩で大学の近くまで行くことにしました。

 15時00分ごろ、現場近くに到着する。
 車を降り、大学へ向かって歩き出しました。あちらこちらの路地からオジーもオバーも子どもも大人もみんな出てきて現場を目指して歩いています。目の前の家から出てきたオジーは開口一番、「戦争だ!戦争!」と口走りながら足早に私を追い抜いていきました。玄関口から心配そうに現場方面を眺めていたオバーは、「戦場、戦場」と呪文のようにくり返しています。大学の建物が見えるはずの最後の角を曲がりました。騒然とした風景が目前に広がりました。大学の正門前の道路は、既に何台もの消防車によって埋め尽くされています。軍服を着たMPの連中が黄色いテープを張り巡らせ立ち入りを禁じています。現場が見渡せるマンションや高台には、数え切れないほどの群衆が立ち並び、目の前で起きていることを注視しています。あちらこちらからサイレンの音が響きます。沖縄県警の連中も続々つめかけてきました。しかし、この位置からは現場が見えません。目の前に張ってある黄色テープを無視して入ろうとすると即座にMPがよってきて前に出ることを制します。どうにかして現場に近づきたい。
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