作業の様子(つづき)
こうした事故が起きたときの役割分担は、当然マニュアル化されているのでしょう。指揮官らしき者を中心として各チームが自分たちの仕事を確実にこなしています。墜落現場以外の破片などは、場所等の確認を終え次第、落下物を回収していきます。何度も言います。これらは事故証拠物ではないのですか?俗っぽい言い方をすれば、これは証拠隠滅というやつなのでは?確実に周辺の整備は進んでいます。彼らの一挙一動を逃さず記憶に記録しているのは、回りを固めている住民たちです。
墜落現場には、防護服のようなものを着込んだ者やガスマスクをかけた者なども混じり、次の段階の処理に向けて準備をしているようです。少しずつ夜も近づいてきました。照明関係の器具も搬入され、夜半における活動も想定されているようです。ただただ、日本人たちが見守る中、米軍の作業は続いていくのでした。
1日の感想
8月13日(金)、米軍のヘリが墜落してから日が暮れるまで1日現場にいました。自分の目の前で起きていることが全て、イラクでの光景と重なり合いました。
いや、これはイラクだけではなく、ベトナムでも、そう沖縄でもあった光景に違いありません。私にとって、過去の光景やイラクの光景は、全てメディアを通じた情報であったりする2次的な画像でした。でも今、目の前で起きている光景は、そうした2次的な画像ではありません。
私は、ベトナムにおいてもアウシュビッツおいても、そして、ここ沖縄においても、ある意味で過去の記憶が押し込められている戦場の臭いは、嗅いできたつもりになっていました。今日の現場は、リアルタイムで間違いなく戦場です。私たちは戦場にいたのです。戦場にいるのです。
現場にいち早く駆けつけて対処をしている米兵たちを見ていると、ある意味では当然のことだと思うのですが、彼らにとって、日本の基地(母国外の基地)で行われていることは、訓練ではありません。実戦なのです。つまり、今日切実に感じたことは、そうした米軍の実戦の場の中で、沖縄の人たちは生活をしているということです。生活をしている場の中に基地という訓練施設があるのではないのです。戦場という実戦の場の中に街があるのです。なんという構造なのでしょうか。そもそもヤマトの人間たちは、視点が転倒しています。例えば、私が住む神奈川では、広い神奈川県の中に基地があります。だから、主権主体として日本があり、その一部を米軍に貸しているなどという意識になります。しかし、沖縄は違います。はなから、沖縄では、日本にも沖縄の人たちにも主権など存在しないのです。未だ占領下なのです。
がしかし、この構造は、実は神奈川でも、いや日本全体において同じ構造になっているわけです。前述したように、おそらく沖縄が真実で、神奈川が転倒させられている。これは1つのトリックなのかもしれません。ああ、もしかしたら、沖縄は日本の内部に外部をつくり、そうした構造における日米の関係を相対化し転倒させるための装置として利用されている。
注意をしなくてはいけない。改憲派の与野党議員たちが、今回の事故を指して、「主権の侵害だ」などと声を荒げたら、逆に梃子として利用される。いや、利用しようとして予感していたのかもしれません。まさか、むしろ、そうなるようにしむけていたのか?あまり、そうは考えたくありません。
起きたことが衝撃的であっただけに、私の頭の中では、まるで映画の映像のように様々なコラージュがフラッシュバックのようにつなぎ、めくられていきます。感想というものとはほど遠い話しになってしまいました。機会があれば、ゆっくり分析をし、まとめたいと思います。
後日談
後日談と言ってもいろいろなことが起きています。重要なことは随時またお知らせするとして、気になったことを中心に少し付け加えておきます。まず1つは、事故後の米軍の発表表現等です。事故を緊急着陸と言っています。教員や学生の避難を援助したと言っています。日米地位協定に基づき、海兵隊が現場での主導権をとったと言っています。次に8月23日には、残りの同型機を普天間基地から移動して、イラクへと派遣しています。やはり、実戦を想定した飛行であったことは明白です。おそらく、装備も実戦に近いものであったのではないでしょうか。まさか劣化ウラン弾などを積んでいたということは?事故現場での放射能汚染が心配です。土壌も回収していきました。
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