今年のフィールドワークは、期間を限定して実施をしなかったので、沖縄の社会の中で気がついたことをオムニバス形式で、気ままに書いていきたいと思います。
桜
沖縄の正月は、桜とともに始まります。1月の下旬ともなると沖縄のあちらこちらから桜の開花の便りが聞こえるようになります。私もさっそく桜祭りでにぎわっている名護・本部方面へと花見に行きました。初桜で有名な名護公園では、どの桜の木も多くの花をつけ、春爛漫という風情を醸し出していました。写真でも解るように沖縄の桜は、本土の桜に比べると少しこぶりで、かわいらしい感じです。大きなシダなどの熱帯植物の間で咲く桜の木は、南国ならではの雰囲気を持ち、本土では味わえない新鮮な印象を与えてくれました。
沖縄の子どもたちに桜の花はいつ咲くのと聞くと「1月・2月」と答えが返ってきます。目の前で現に咲いているのですから当然ではあります。でも、本土の皆さんは思い出すかとは思いますが、小学校の教科書などをはじめてとして、本土の多くの本では、桜は春、そう入学式の頃に咲くものであると表現をされています。桜の花が日本では、一律同じころに咲くとする方が無理があるということがよくわかります。こうした自然界などにある本土との差異は、様々なところに存在をしています。特に、いわゆる教科書などと呼ばれる本の中ではそうした違いはあまり問題にされず、日本全体として一様なものと扱われています。
「沖縄対話」
その昔、沖縄が明治の日本政府に組み込まれたころ、琉球語から標準語にさせるために、「沖縄対話」なる教科書が編纂されました。国語教育をすることから地方の民衆を集権化していくことは珍しいことではありません。その後、沖縄では徹底した標準語教育がなされていくこととなります。そこらへんの展開については、他の機会にでも書きましょう。一方、国家の近代化を推し進める明治政府は、統一的国家を建設するために地方における民間の教育力もだいぶ期待をしていました。郷土史などを中心としたナショナリズムを引き出すような、地方ならではの教科書副読本などの編纂も奨励しました。がしかし、沖縄では、こうした副読本作りなどは、日の目を見ることはありませんでした。なぜならば、沖縄・琉球の歴史などを調べれば調べるほど、本土との伝統や文化の差異・独自性が目立ってしまうからでした。
「日琉同祖論」
確かに、その昔の琉球と日本(ヤマト)とは、相当盛んな交流があったことは否定できません。よく、琉球語には、日本語の中世頃の祖形が残されているとか、琉球の文化などの中にヤマトの文化や習慣の痕跡があるとかということから、そもそもヤマトと琉球は兄弟の関係にあったなどと言われます。その関係を称して「日琉同祖論」などと言っています。この「日琉同祖論」は、琉球とヤマトの関係の様々なところで使われます。「日琉同祖論」が歴史の中でどのように使われたのかということなども、なかなかおもしろいテーマなので、機会があれば話しをしましょう。こんな調子でまたつらつらと書いていこうと思っています。今しばらくおつきあいのほどを。
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