FW沖縄2003−8
地割制の残る畑の間をテクテクと歩いていくともう既に島を半周していました。気がつくとスタートした港へと戻ってきました。島の産物を扱う共同店に立ち寄った後、再び高速船に乗り 沖縄島へと戻りました。津堅島にかぎらず、沖縄島の回りには、まだまだたくさんの宝の島があります。少しずつ訪れ紹介していきますので、楽しみにしていてください。     −泡瀬干潟−
干潟という言葉を最近はよく聞くと思います。いわゆる遠浅の海岸近くに引き潮のときなどに顔を出す浅瀬です。海岸の埋め立てや保岸工事などがあまり一般的
でなかったころは、日本のいたる所にこうした干潟が広がっていました。干潟は、海のゆりかごなどと言われ、海の生物はもちろん鳥などの様々な生き物の生活の場になっています。生 き物たちの生活の場であると同時に自然界における環境のバランスを取るための自然の環境維持装置としての役割も担っています。そんな干潟が、日本の経済発展とともに姿を消してきま した。遠浅で埋め立てやすい干潟は、都市近郊の住宅用地や工業用地として埋め立てられ、新しい陸地としてその姿を変えてきました。その昔、日本人にとって、こうした干潟は、生活
の糧を得る場でもあったのです。ご存知の通り、古代人はもとより多くの日本人がこうした干潟より、貝などの海産物を採取し、食料や収入の1つとして活用してきました。確かに日本が 高度成長を標榜していた時代には、発展のための物質的空間が必要だったかもしれません。がしかし、そうした時代が去った今、人間をも含めた、まさに生き物たちのゆりかごである干潟 を開発する意味がどれほどあるのでしょうか。昨今、日本のいくつかの場所で、日本が経済発展を第一目標にしていたころ立てた、今さらそれを実施したところで現実的な発展の望めない
形骸化した将来性のない空想的計画だけが今もってもまだ進行しています。80年代の後半に立てられたそんな展望のない開発埋め立て計画が進行している場所の1つが、ここ沖縄島の中 部中城湾ですすめられている泡瀬干潟の埋めて計画なのです。休日の午後立ち寄った泡瀬干潟は、ちょうど引き潮の時間にあたり水平線の先まで干潟がどうどうと広がっていました。姿を 現した干潟のあちらこちらに様々な生き物が顔を出していました。それを見に来た子どもたちなどがあちらこちらで歓声をあげています。沖合を眺めるともう既に何本かの杭が打たれてい
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