FW沖縄2003−9
て、埋めたての計画が確実に進んでいることを理解させます。社会の価値観がもう既に変わっていることをどうやって伝えたらよいのでしょうか。国民あっての国なのに。いつまでも幻想 を見るのをやめろ!と声を大にして言いたくなりました。
   −慰霊の日−

6月23日は、沖縄戦が終了した日ということになっています。何をもって終了
と言うのかによって終了自体の日は動く可能性があります。中でも当時の牛島司令官の自決をもって、軍の組織的戦闘が終了した日とするのであれば正確には6月22日ということになり
ます。ともかく、本日は慰霊の日ということで、沖縄の各地において慰霊祭が開かれます。本年の慰霊祭は摩文仁の平和祈念資料館、平和の礎、県主催慰霊祭、轟の壕を訪れることにしま した。私が慰霊の日に摩文仁を訪れるようになってから、1度も雨が降ったことはありません。いつも初夏とは言えない強烈な太陽が降り注ぐ1日となります。今年もやはり暑い1日とな りました。朝の清々しさが残る時分に摩文仁に着いた私は、まず平和祈念資料館を観ることにしました。新しくなった平和祈念資料館については、いろいろと書きたいことがありますので
他の機会に書かせてもらうとして、沖縄、とくに沖縄戦に関する基礎知識の再確認をきちんとさせてもらいました。1つだけ書きましょう。平和の礎へ降りていく芝生のスロープの途中に 魚雷の残骸の展示があります。礎と資料館との関係を思い出して、この展示の不調和さを考えてみてください。昼の日差しの中でキラキラと輝く礎の群の中に降りてきました。礎に刻まれ た氏名を手でなぞりながら1年の報告をしているオジーやオバー、こうした光景をもう何度も見てきましたが、見る度に自分もこの1年何をしてきたかと問われているような気になるので
す。今年は1つの出会いがありました。ちょうど韓国人の方々の氏名が刻まれているところへ差し掛かったとき、今年より氏名が刻まれた韓国の遺族の方々がセレモニーを行っていたので す。韓国より訪れた金さんは、お兄さんをこの沖縄で亡くされたそうです。礎に氏名が刻まれた今年、関係者とともに沖縄を訪れたのです。彼は、メッセージを持ってきていました。ちょ うど訪れた私たちに対し、彼はそのメッセージを読み上げてくれました。「若い人、皆さんが未来を創るのだ」と。再び暗黒の時代をくり返すのか、それとも明るい未来を切り拓くのか、
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