FW沖縄2003−1
 今年のFW沖縄は、特派員の報告を中心にして長期定点取材を敢行します。予定は1年間ほどと考えていますがどうなることやら。ともかく、お楽しみください。  −沖縄の平和運動−
さて、第1回目のリポートは、沖縄の平和運動についてです。今年度の取材は、ちょうど、アメリカ・イギリスによるイラク戦争開始の時期と重なりました。
 沖縄における平和運動の話しに入る前に、今回のアメリカ・イギリスによる対イラク戦争について少しまとめておきましょう。そもそも、ことの始まりはと言いますと、アメリカの中東
政策なるものが関係しているのは言うまでもありません。しかし、これをさかのぼるとかなり昔からの話しをしなくてはいけなくなるので、最近の話しをしつつあいだ間で、昔の話しも差 挟みます。今回のアメリカによる対イラク戦争は、やはり、2001年に起きた、同時多発テロがその発端ということになるのでしょうか。ただ、その報復の対象は当初は、アフガンだ ったわけで、それが次になぜイラクになったのかは、少々説明が必要であると思います。同時多発テロの後、アメリカは、その報復措置として、まずはアフガンを攻撃します。
その言い分はアメリカをテロ攻撃した組織をかくまい援助しているというものでした。アフガンにおいて軍事的に優位に立ったアメリカは、年が明けると直ぐに、「悪の枢軸」なる言葉 を使い、北朝鮮・イラク・イランを名指しで非難しはじめます。これらの国をアメリカの言う、テロ戦争の対象国であると位置付けます。アフガンの次なるターゲットは、この中のイラク でした。なぜ、次がイラクであったのか、明確な理由は私にはどうもよく分かりません。表向きの理由としては、イラクは、アメリカを攻撃したテロ組織を支援しているだとか、大量破壊
兵器を隠し持っているだとかと言っていました。一方、裏の理由としては石油の問題だとか、湾岸戦争のときのブッシュ一族のリベンジだとかと言われていました。この段階において、 アメリカが強行にイラク攻撃を主張した一番の理由は、世界の安全を乱す大量破壊兵器を隠し持っているということでした。そうしたアメリカの主張を受け、国連では、イラクにおける 大量破壊兵器の査察を強力に押し進めます。その結果、03年1月9日、査察団はその中間報告において、決定的な証拠はまだないと報告をしました。その報告に対して、アメリカは
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