FW沖縄2003−11
すり鉢状のくぼみの一番下に入り口はありました。何層かに分かれ存在をした壕は、軍が一番よい場所を取り、住民悪環境の場所に押し込められたといいます。「戦争なんだからしょうが ない」などともし思うのだとしたら、もう既に平和の意識は遠のいていると言えるでしょう。ここでしっかりと知っておいてほしいことは、軍隊は、国体は守っても国民一人一人は守って くれないということです。これはある意味世界の常識ではあります。個人の安全保障を守るのは警察であって、軍隊は国家を守る組織であるわけなのです。深淵の闇の中へと入り込みまし
た。くねくねと折れ曲がった細い道を奥へ行くと広くなった所へと出ました。広くなったとは言え、下は岩があちらこちらに露出をした傾斜地です。この場所に何百人もの住民がいたとは 想像すらできません。この暗闇の中で、身動きすらできず息を潜めて何日も耐えていたとは・・・。戦争は悲惨だったと言うのは簡単です。問題は今後同じことを起こさないようにするた めにはどのように行動するかです。壕に入る度に、この1年の自分の行いを省みざるを得なくなるのは私だけでしょうか。壕から出て新鮮な空気に触れるととにかくできることをやり続け
なくてはといつも思う私でした。
  −ヤンバル紀行−

 梅雨も開けた6月の終わり、新緑の盛りのヤンバルに行ってみることにしました。ヤンバルとは、沖縄島
の北部をさします。北部の特徴は、亜熱帯地方特有の森林地帯が今なお色濃く残っています。と同時に米軍の北部演習地域が延々と広がっている地域でもあります。基地の移設問題や軍用 地の問題、それらに絡めての北部振興政策の問題など現在の沖縄にとってはいろいろな意味でキーポイントになる地ではあります。さて、北部へのアプローチの方法ですが、手っ取り早い
のは高速道路を使って、終点の許田まで行きそこからは、目的の場所まで一般道路を使うという方法です。しかし、私たちは、58号線を坦々と北上するという行き方にしました。道さえ 空いていれば、そう時間的に変わるものではありません。せまい沖縄そんなに急いでどこへ行くという感じです。名護を過ぎるとヤンバルに入ってきたと思うから不思議です。名護・本部 方面は最近ちょっとしたブームになっています。ブームの柱は、カフェと水族館です。あと根強いところでは、そば屋です。ここらへんの詳しいことは別の機会に書くとして、ちょうど昼
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