FW沖縄2003−20
よって、アメリカ占領下にあったような理不尽なことは無くなるはずと思っていた沖縄の人たちに、ベトナム戦争に負け、朝鮮半島情勢に危機感を持ったアメリカ軍による新たな仕打ちが 待っていました。それは、県道104号線を越えての155ミリりゅう弾砲による実弾訓練でした。射程距離が数十kmである155ミリりゅう弾砲を試射するには、あまりにも短い距離 であったので、少しでも遠くから打ち込むため、県道104号線を封鎖をして、県道越えの実弾演習を実施したのでした。その砲弾の着弾点際には、金武町喜瀬武原地区がありました。喜
瀬武原地区での演習時における砲弾の炸裂音はすさまじく、まるで戦場近くに街があるような状況でした。さらに恐ろしいことには、誤爆の可能性も十分にあったことでした。このように 付近住民たちの生活権が脅かされる状況に対して、日本政府は当然、憲法に基づき徹底抗議をしてくれるものであると沖縄の人たちは思っていました。しかし、日本政府は何ら有効な手だ てもこうじようとはしませんでした。抗議をするどころか、むしろアメリカを擁護するような発言に終始したのでした。こうした日本政府の対応に業を煮やした住民や学生たちは演習阻止
のための実力行使へと出ました。それは、着弾地点でのデモンストレーションでした。これが、復帰直後に喜瀬武原で起きた運動のあらましです。そうした運動を支援するために豊さんの 「喜瀬武原」という歌は創られたのでした。そしてこの歌は、30年近く経った今でも沖縄における平和運動の原魂として歌い継げられているのです。この歌の歌詞の一節に「君はどこに いるのか姿もみせず」という一節があります。この一節が意味することは過去・現在・未来におけるこの歌の役割を的確に表し、この歌が時代とともに色あせることなく生き続けていくこ
とを意味しています。日本という国において、君はいつでもいるのです。君は何をすべきかということを時代を越えて突きつけ続けているこの歌は、沖縄の宝物の1つであると言えるでし ょう。またこうした歌い続けることによって平和への意志を坦々と訴えて続けていく姿勢の背景には、沖縄民衆の深層意識に脈々と流れている非暴力思想の存在が大きいと思います。とい うことで、時代を超越した沖縄の魂に触れることができるエル・パピリオン、皆さんも是非一度は訪れてみてください。初めてであったり、1人であったりして行きづらい方は、遠慮なく ご連絡ください。タイミングが合えばご案内いたします。まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、FW2003は一先ずここで終了しFW2004へと引き継ぎさせて頂きます。
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