FW沖縄2003−16
と言われ自分だけが先に行ったところ捕虜になった。この狭い所にこんなに人がいたのかというほど出てきた。米兵が最初に水と缶詰をくれたが、水に毒が入れてあるのではないかと思い なかなか口をつけることができなかった。目の前で米兵が飲むのを見せられて、安心して口にした。捕虜収容所に連れていかれるとき振り返り自分たちのいた所を見た。山の尾根尾根が見 えただけだった。話しを聞いた私たちは、鬱蒼とした林を抜けて夏の太陽がまだ盛んに照り返す礎の広場へと戻ってきた。この場所で起きた事実、そしてその記憶は、間違いなく人々の記
憶の中に残っている。60年近く経った今も決して消えることはない。

 −ちゅら海水族館−
その昔、その昔と言っても沖縄が日本に復帰をして直
ぐのころ、本部半島の西部で沖縄海洋博覧会という催し物がありました。沖縄が日本に復帰したことを国が記念するような行事でありました。地元の人たちは、これがきっかけとなって経 済的な効果が現れるのではないかと期待をして、様々な準備をしました。がしかし、潤ったのは本土から来た企業ばかりでした。そのイベントからかれこれ30年近くが経ち、博覧会を見
に行った人たちの記憶も薄らいでいた昨今、風の噂の聞くと公園の中の一角に残っていた水族館がリニューアルして東洋最大級の水槽が設置されたと耳にしました。さらにそれがどうも人 気を呼んでいるらしいとのこと。私の記憶の中では、うらさみしい敷地の中でイルカと戯れたことしか思い出せなかったので、これは様子を見に行かなくてはと思い、9月のある日、久し ぶりの本部町へと向かいました。沖縄島の西部につきだした本部半島には、琉球三山時代の北山の本拠地であった今帰仁城(なきじんじょう)があります。今帰仁城址に立つと目の前に広
がる東シナ海がまさに世界につながってる感を強めます。証拠に城址からは、中国はもとより、遠くはベトナムなどの陶器の破片も出土します。今帰仁町の話しは、1月の桜祭りのときに でも詳しく話しをしましょう。海洋記念公園までの行き方は、名護までは先日のヤンバルへの道程と同じです。名護から西へと進路を取ります。本部半島はみかんの産地で有名で、みかん 狩りなどの行事も行われています。最近では、そんな本部の山の中に喫茶店が数多く開店しており、喫茶店めぐりも楽しみの1つとなっています。途中、昼飯にダチョウの肉などを食べつ
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